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1981年 10月1日うまれ

※これは公開処刑ではなく公開感謝状である笑。

彼女に出会ったのはもう十数年まえ。
わたしは昼間の仕事をしているとき
イタリアンレストランで働く友達から
「夜空いてるならバイトすれば?」と
誘われて入ったお店のツボネだった。

お局さん、ではなくツボネ風。

いつもタイムカードを押すときに
スタッフみんなの名前が見れる。
新人のわたしはそれを見て名前をおぼえた。
まだ会ったことない人いるなぁ、と3日目。

「弥」という漢字が目に入ると勝手に男性かと。
これで女性ならかっこいいな、と思った記憶。

のちの話によると、そのツボネはわたしのことを
「年上の女性のバイトで
ちょっとイタリア知ってるとか、なんたらかんたら」
とか言っていたらしい。失礼なはなしだ。
要約すると、一緒に働きたくないからね、ってやつ。
同じ職場にいて「一緒に働きたくない」
それはとても難題なのだけれど、ツボネの
その難題を無視することは解くよりも厄介だ🙊
と悟った当時の店長は見事に配置をズラしてくれた笑。

むかしむかし、20年くらい前に
少しイタリアに住んでいたわたしは
その経歴がなんとも重かった。たいして知らない。
知ろうと思って行ったわけではなく
たまたま行ったら好きになって帰らなかった、ってだけ。
だから何も知らず何も考えず過ごした経歴。
以外のなにものでもなかった。
そしてここでまたしても重くのしかかった笑。

どこで聞いてきたのか晴れたある日に
ツボネがわたしに話しかけてきた(くれた)
「むらたさん(そう私はむらた)伊勢の人なんですか?」
「はい、そうです」伊勢というか三重。

ツボネ(ここからはAさんと呼ぶ)は
大そうな伊勢のひと贔屓だった。これはいける。
伊勢神宮に行ってみたいそうな。たやすい御用だ。

「伊勢」というワードがここまで役に立ったのは
人生において最初で最後だろうし
いま思うと、これが伊勢神宮のホンモノのパワーだ
神さまありがとうと。

「一緒に働きたくないからね」は伊勢パワーによって解除されイタリアかぶれのわたしを受け入れてくれた(安堵)

さすがわたしは神に見守られておる。

そして色んな話をする。そしてまさかの仲良くなった。
いちばん安堵のため息をもらしたのは店長だろう。
女同士のバチバチほど厄介なものはない。

それからツボネAさんは
事あるごとにわたしを守ってくれた。命も。
ここまでくると感謝の行き先は
Aさんか神さんかわからなくなる。

みんなでの談笑の場面
ちょっと大げさに、笑いだけが欲しくて話を盛った時。
「むらたさん嘘つきだよーそんなの嘘だよー」とか。
なじられてるわたしを守ってくれた。

「むらたさんは嘘つきなんかじゃない!
  いい加減なだけなんだよ!」

ツボネのAさんが言うと誰もが黙る。守られた!
にしても、嘘つきではなくともいい加減かぁ…
とか思いつつ
「それって褒めてる?」と言いながら笑う。

わたしたちはたくさん笑った。
接客業なのにお客さまを見て笑った。
あるまじき行為だとはわかっていながら笑った。
東京ってところは変なひとが多い。

そしてよく怒った。
気に入らないことには本気で怒った。
喜怒哀楽を共にするというのは打ちとける最大の武器。

出会って何年かしてわたしの最愛の父が亡くなった。
ずーっとずっと仕事を休んで
田舎にかえり父のいる病院にこもっていたわたし。
約半年は仕事もせずに。

そして帰京したわたしをAさんは
リッツカールトンなるところへ誘ってくれた。
お高い珈琲を飲んだ。
天国に近い、東京の中でもなかなか高い45階で
空に近い喫茶店だった。

それまでにAさんはわたしの田舎(伊勢神宮めあて)にも
来てくれたことがあったし両親にも会っている。
だから父の死を悔やんでくれた。
仕事をしていないときのAさんはツボネでもなく
ただの、友達。

「ずっと仕事してないでしょ、おごるよ」と
東京一高い珈琲をご馳走してくれた。
ずっと仕事してないって理由で。
父が亡くなったかわいそうなわたしに、ではなく。

それがわたしにはとっても嬉しかった。
ようやく見つけた「仕事してない」って理由が
口をひらけば涙が出てくる当時のわたしには
有難いほどのあっけらかんだった。

何回目かの命日は一緒にマンダリンオリエンタルという
また高くて高くて空に近い喫茶店にいった。
もうおごってくれなかった。元気になったから。
リッツカールトンでの出来事もきっと忘れている。
だからわたしはここに書いておく。

よく言い合いするし
いや、言い合いではない、負ける。
よく怒られるし、だいたい無茶するからわたし。
でもわりと仲良いと思う。わりと。

救急車に付き添ってくれたこともある。
一緒に出かけると必ず事件が起きる。
きっと思考が紙一重で似ていたりもするから
たわいもないことが、わたしたちには大事件になる。
らーめん屋で店員さんがわたしにだけ
水を注いでくれなかったことさえ
わたしたちには大爆笑な、語り継ぐ大事件になる。
なんてこった。疲れる。

この間やっとiPhoneを買い替えたわたしは
ずっと欲しかったカバーを買ってAさんに見せようと
Apple storeから彼女のもとに
中身に目もくれずに走り、やっと開けたら
袋に入れてくれていたカバーは
違うサイズのものだった(Appleともあろうことが)
それだって爆笑出来るんだもん。不思議な関係。
「もってるわ〜」と嘲笑われている。

そのあと違うApple storeにて
レシートのメールもないのに取り替えてもらった。
また言う「もってるわ〜」
ま、あんたが笑えるならそれでいいわ、と思う。

わたしは足を折ったり、爪を割ったり
意識を失ったり、腕に大火傷をおったりしている。
それでも彼女は笑い続ける。事件現場には必ずいる。
生傷絶えないわたしは笑いに救われている。
何にしても笑い話に変えてくれる。
痛いの痛いの飛んでく〜。

喜怒哀楽を共に出来る人がいるということは
日常が豊かでないとできない、人生最大の武器。
よく怒るけど、わりと笑うんですよ、ツボネも。

波瀾万丈のような毎日を過ごすわたしは
出来ることなら人生穏やかに過ごしたい願望の強い
Aさんにとっては
大嵐のような存在らしくて。
今日の彼女の誕生日も大嵐。
むらた健在。

穏やかには過ごさせませんから。
歳下なのに偉っそうなAさんに
またこんなことを書いたと怒られるだろうけど
これは、元を正せばわたしが死んだ時に
みんなが読んで笑えるように(勧めたのはAさん)
お誕生日おめでとーーー。
プレゼントは藤井風のライブだよ。

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