【短編小説】浄夜 7

寝室にはシングルベッドが二つ並んで置いてある。私はなんとなく一方のベッドを動かして二つのベッドの間に隙間を作った。妻がそのことで傷つくかもしれないと考えたが、今日は隣で眠れる気がしなかった。

携帯のアラームを確認して枕もとに置いた。今日は友人の告別式で一日有休をとった。明日は通常通り会社に行かなければならない。私は明日の仕事のことを考えた。やるべきことを頭の中で整理をして、一日のスケジュール組み立てた。

朝、営業会議に出席し、午後一番で取引先に向かう。夕方戻ってきて書類を片付けて家に帰る。クレームの処理もしなければいけない。長年付き合いのある相手だけに、今回のような失敗は痛い。これを限りに取引をやめるなんて言いだされれば私の社内での評価に響く。なんとかうまく処理しなければならない。家に帰るのは何時頃になるだろう。

そこで私は現実に引き戻される。仕事どころではなかった。そんなことよりもっと切羽詰まった問題を私は抱えてしまったのだ。

私はベッドに横になった。天井を見つめているとそこに小さなシミを見つけた。約一センチほどの黒いシミは歪な形をしていた。いつあんなものが付いたのだろう。私は無性にそれを取りたくなった。爪で引っ掻いて天井の壁紙ごと剥がしてしまいたかった。

近くに椅子でもないかと見回したがそんなものはなかった。リビングに戻って椅子を持ってこようかとも考えたがバカバカしくなってやめた。今日は最低の日なのだ。一番親しい友人を亡くし、最愛の妻も失おうとしているのだ。こんなことがあっていいのか。

私は布団を頭の上までかぶり目を閉じた。このまま眠ってしまおうと思った。朝になればいい考えも浮かぶかもしれない。思いもよらない進展をみせるかもしれない。なにもかもうまく解決し、私は日常に戻るのだ。

私は顔の上の布団を剥ぎとってベッドから起き上がり、部屋の電気を切ってもう一度ベッドに横になった。天井の豆電球を数秒間睨みつけた後、目を閉じて「頭を無に」と念じた。

妻が寝室に入ってくる気配がした。私は目を開け、携帯で時間を確認した。まだ三十分しか経っていなかった。

「起こしちゃった?」

「いや」

私は妻とは反対の方に寝返りをうち、目を閉じた。眠れなかった。体は疲れているのに頭がすっかり冴えていた。目を閉じていることすら苦痛だった。しかたなく目を開けると薄暗い部屋がぼんやりと映った。カーテン、本棚、クローゼット、それらの輪郭が少しずつはっきりしてくると私はあきらめの気持ちを込めてため息を吐いた。

「眠れないの?」

私は妻の問いかけに答えず、代わりにゴホンと咳をした。妻もその後はなにも言わず、ベッドに入る音が微かにした。

私は眠れぬままただ漫然と薄暗い部屋の片隅を見つめていた。時間がゆっくりと流れた。

私の後ろに妻がいる。私には妻が泣いているのがわかった。妻は今、ベッドの中で声を殺して泣いているのだ。彼女は一体なんのために泣いているのだろう。亡くなった友人のためだろうか。私のためだろうか。それとも自分自身のためだろうか。

私はどうするべきなのだろう。今すぐ彼女の隣へ行き、優しくだきしめてやればいいのか。彼女が泣きやむまでずっと手を握ってやればいいのか。私にはわからなかった。それは妻の問題だった。彼女は言った。「私の問題は私で解決する。あなたはあなたの問題を解決して」と。

彼女がどんなことでどれほど傷ついていたのかについて私はあまりに無頓着だったのかもしれない。私はもっとそのことについて妻と語り合うべきだった。そして私自身についての問題も、彼女はすでに気付いていたはずのその問題も、彼女と話し合うべきだったのだ。

「オレたちは自分のことについてもっと語り合えばよかったんじゃないか?そうすればこんなことにはならなかったんじゃないか?」

私は友人に問いかけた。友人はなんの返事もしてくれなかった。

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