【実験小説】Case1:雨宮雪子の場合 3

はじめのうちは微かな違和感を抱くだけであった。たいていはそれがなんであるか気付かぬうちに過ぎ去ってしまった。胸の中にふとした感覚がわきあがり、誰かが自分になにかを訴えている感覚が生まれる。それは声ではなく、ただの感覚だった。

「なんだろう、この感じ」

頻度が増えるごとに雨宮雪子は注意深くなっていった。

それを発見したとき、「なんだこれか」という小さな落胆があった。

それはただの偶然の連なりだった。

例えば登校前に部屋でたまたま聞いていた音楽の歌詞の一節を学校で教師が黒板に板書したり、ずっとほしかった画集をやっと買うことのできたその日にテレビでその作家の特集がやっていたり、些細なシンクロが自分の周りに満ちていた。

発見した当初はそこにオカルト的な意味づけを空想してみたりもしたが、それがあまりにも周りに満ちているのでいつしか当たり前のことに思えるようになった。

世の中は結構そういうもので、そんなものにいちいち意味づけしてもしょうがないじゃないか、雨宮雪子は自分の現実に張り巡らされている偶然の一致を無反省に受け入れるようになった。

雨宮雪子の偶然に彩られた現実はときとして人々を奇異な気持ちにさせた。

あるとき、雨宮雪子は両親とともにテレビを見ていた。テレビは夜のニュース番組を映している。

世の中を騒がせている新興宗教団体が彼らを非難する市民団体の女性を誘拐しようとした、女性は自力で脱出し、警察に保護された、女性は聴力に障害があった、

ニュースキャスターはそう伝えた。そしてテレビの画面には聴力に障害のある女性が映し出された。

「怖かったです、自分も殺されるという意識があって、なんとか逃げ出しましたが、今でも恐怖心が消えません」

女性の所属する市民団体は破防法の適用を訴えている、ニュースキャスターそう言ってニュースをしめた。

「お母さん、この人、嘘ついてるよ」

「だれが?」

「さっきの女の人。きっと誘拐なんてされてないよ」

母と父は雨宮雪子の言葉を無視して、ニュースについて語り合っていた。

そのニュースは数日でみなの記憶から忘却された。雨宮雪子も例外ではなかった。日々繰り返される日常と新しいニュースが彼女の頭を支配した。しかしそれは繰り返される日常の中にふと回帰する。

数日後の同じ時間、雨宮雪子は両親とともに同じニュース番組をみていた。

宗教団体による誘拐未遂事件は誘拐された女性による狂言であることが警察の調べで判明した、ニュースキャスターはそう伝えた。

女性はどうしてもその宗教団体を破滅させたかったと語っている、云々。

雨宮雪子はテレビから伝えられる情報をただ聞き流していた。自分が数日前に両親に発した言葉がぼんやりと頭に浮かんだが、それはいつもと同じただの偶然の一致にすぎなかった。両親だけが不思議そうにテレビと雨宮雪子の顔を交互に見つめるのだった。

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