【短編小説】浄夜 2
家に着くと妻はシャワーを浴びたいと言って風呂場に入っていった。私はエアコンを点け部屋着に着替えた。冷蔵庫から缶ビールを一本取り出し、半分ほど一気に喉に流し込んだ。ソファに座り、テレビを点け、あちこちチャンネルを変えてみた。ニュースの時間らしく、どのチャンネルも内閣不信任案の行方を報じていた。
私はテレビを見るともなくぼんやりと眺めながら、シャワーを浴びている妻のことを考えた。妻の裸を見たのはもうどのくらい前だろう。裸の妻のイメージが浮かんでは消えた。
愛情が消えたわけではない。むしろ以前よりも愛しているほどだ。しかし、私たちはもう二年もセックスレスだった。同じベットに入ってもセックスをすることなく手を繋いだまま寝るようになった。どちらからも誘うことはない。
私は妻を愛していたし、妻も私を愛しているだろうと思えた。体の関係が消えて私は精神的な繋がりを意識するようになった。私たちは繋がっているのだということが私を安心させると同時に性的欲求を減退させた。それでも私は満足だった。心が満たされていると感じた。私たちは完全なる夫婦なのだ。
缶ビールを飲み終えると、妻が風呂場から出てきた。部屋着に着替えた妻は冷蔵庫から水を取り出して立ったままごくごくと飲んだ。
「あなたもシャワー浴びたら?」
妻の言葉に従い、私は風呂場へと向かった。
冷たいシャワーを浴び、汗を流す。体を隅々まで洗いバスタオルで水滴を拭き取るとさっぱりとした気分になった。
風呂場から出ると妻はソファに横になって眠っていた。私は妻を起こさないように静かに冷蔵庫を空け、缶ビールを取り出した。そして床に直接座って、点けっぱなしになっているテレビを眺めた。
野球の試合がもうすぐはじまりそうだった。今日の試合は両エースによる投手戦になるだろうとアナウンサーは告げていた。私はリモコンでテレビの電源を切り、缶ビールを一口飲んだ。とても静かだった。
妻を見ると妻は死んだように眠っていた。私は今日見た友人のことを思い出した。友人の青白い顔が浮かんだ。
そうだ、彼はもういないのだ。
そのことは私を愕然とさせた。彼ともう二度と話すことはできないのだ。会うことはできないのだ。彼はもういないのだ。妻の寝顔が友人の顔と重なった。私は涙がこみ上げてくるのを必死で堪えた。妻の寝ている前で泣くことがひどく悪いことのように思えた。妻は今、どんな夢を見ているのだろう。
友人の死は突然の出来事だった。普段通りの生活をしている中、急に命を絶った。遺書はなかった。だれにもなにも言わず、ある日突然にこの世からその存在を消した。
私たちはひどく困惑した。彼が一体なににそれほどまで心を煩わせていたのか、皆目見当がつかなかった。少なくとも私には友人の死がとても不自然なものに思えた。自殺という行為は全て不自然なものなのかもしれないが。
私と妻はこの世に残されてしまったのだと思った。友人はなにかを抱えたまま私たちを置き去りにして先に逝ってしまったのだ。
彼がなにを抱えていたのかはわからない。ただ話してさえいてくれれば私は彼の力になっただろう。いや、なれなかったのかもしれない。それでも話を聞いてさえいれば、少なくとも生きることを選択させたことは間違いない。それがなんであれ。
私は彼の死の理由についてあれこれ想像を巡らせた。しかし、これといってなにも思い浮かばなかった。私には想像力が欠けているのだろう。友人は私の思いもつかない重大ななにかを抱えていたのかもしれない。それを人には言わず、この世から消し去ってしまうことを望んでいたのかもしれない。
全ての仮定は私をどこにも連れていかなかった。彼が死んだという現実を私の前に突きつけるだけだった。どんな理由があるにしろ、私は現実を受け入れなければならないのだ。彼がいなくなり、私は妻と二人で生きていかなければいけない。
「おれたち三人でいれば怖いことなんてなにもない」
友人の言葉が私の空白を埋めていった。
妻は目を覚ますと、服を着替え、買い物に出かけていった。私は妻が帰ってくるまで本でも読もうと、読みかけの文庫本を開き、文字を目で追っていった。文字は一つ一つ私に意味を投げかけていたが、私はそれが文章としてなにを言っているのかがさっぱり理解できなかった。切れ切れになった言葉が脈絡もなく私の頭を通過していった。
私は本を読むのをあきらめ、煙草を吸おうとベランダへと出た。日が暮れたとはいえ、外の空気は昼間の名残をとどめていた。煙草を口に銜え、先端に火を点ける。高所から見下ろす街並みは、夏の暑さにやられたのか、ひっそりとしている。
どこからか救急車のサイレンが聞こえた。すぐ真下のアパートのベランダで洗濯物がはためいていた。
どこからが現実でどこからが私の想像なのだろう。
私は煙草を灰皿に押し付け、部屋に戻った。現実と想像の境目で友人が笑っていた。
妻は買い物から帰ってくるとすぐに台所へ立った。私はおかえりを言うのも忘れてぼんやりとなにも映っていないテレビを眺めていた。水道から水の出る音や鍋やらフライパンやらが立てる音が部屋に響いた。二人ともなにも口にしなかった。妻は黙々と料理を作り、私はただぼんやりとテレビを眺めている。
二人がこんなにまで相手の存在に無関心になったのは初めてのことだった。妻は私などいないかのように私の方をちらりとも見ない。
妻の作っている料理はだれのためのものなのだろうとふと考える。私ではない。友人のためのものだ。妻は今、友人の不在を忘れようと必死に体を動かしているに違いない。なにかを忘れるためには働くことが一番なのだ。妻は彼の死を忘れようとしながら必死で彼のための料理を作っているのだ。
死者に対する人間のとるべき正しい行動とは一体なんなのだろう。私は友人の冥福を祈った。死者の冥福を祈ることが世界の正しい在り方なのだとすれば、私は進んでそれに従おうと思う。それでなにかが変わるわけでもない。彼が生き返るわけでもない。それでも祈らずにはいられないのだ。
人は誰かのために祈ることに人生の慰めを見いだすのかもしれない。それはきっと根源的なことなのだろう。誰かが誰かのために祈り、誰かの死を悼む。そうやって人は生き続けてきたのだろう。少なくとも私が現実を進んでいくためにはそうすることが必要だった。
だから、私は祈った。
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