【短編小説】浄夜 9

携帯のアラームが耳に響いた。私は枕もとにあった携帯を開き、スイッチを押した。そしてベッドから出ると大きな欠伸をした。

後ろを振り向くと妻はまだ眠っていた。私は静かに洗面所に向かった。顔を冷たい水で洗い、髭を剃った。鏡に映った自分はひどい顔をしていた。

リビングへ行って食パンをトースターで焼き、お湯を沸かしてコーヒーを作った。食パンにマーガリンを塗り新聞を読みながら一人で食べた。コーヒーを飲み終えると食器を流しに持っていき、洗剤とスポンジで丁寧に洗った。

部屋着を脱ぎ、ワイシャツとスーツに着替えた。ネクタイを締め、鞄に財布と携帯を入れた。玄関に行き靴を履きかけたところで思いなおし寝室へと向かった。

妻はまだよく眠っていた。妻も今日は会社のはずだったが起こさないでおこうと思った。ゆっくり休んだ方がいい。会社への連絡は自分でするはずだ。それくらいはきっと自分でできるだろう。私は妻に近づき、腹を触った。妻の腹は暖かく呼吸に合わせてゆっくりと上下していた。

「おれたち三人でいれば怖いものなんてなにもない」

友人の声がした。私は妻の額にキスをすると静かに寝室を後にした。

外に出ると太陽が世界を支配していた。私はワイシャツの袖をまくりあげた。額にじっとり汗が滲んだ。暑さのせいなのか人影もまばらだった。私は駅に向かってゆっくり歩き出した。すれ違う人もどこか疲れたような顔をしていた。私もきっとひどい顔をしているに違いない。

空を見上げると青白い月がぼんやりと浮かんでいるのが目に映った。私には月が自分の存在を隠そうとしているように思えた。青い空がどこまでも遠くまで続いている。

夜はすでに終わっていた。

-(了)-



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