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私の本の感想を交わし合う行為を創造したい

今まで私は書いた話をネット上に公開してきたが、本にした話は公開していない。縦書きを横書きに直す作業が億劫だから。

私の一次創作本は頒布する予定で作られていないため、読んでくれる方も一握りしかいない。その読んでくれた人に言われた悩みを話す。
「感想を分かち合う人がいない」というものだ。その視点がすっかり欠けていた私は衝撃を受けた。聞けば私がネット公開する作品では知らない誰かの感想を見る楽しみがあったそうなのだが、そもそも読み手が増えない今はそうはいかないのだ。

私はこれをなんとかしてあげたいと思った。とは言っても、「ネットに公開しようか?」と聞くと「デリケートな(題材の)作品だから、いい人に読んで欲しい」とのこと。
確かに本にした話は、ネットに公開しないのを良いことに際どい趣味を詰め込んだものばかりだ。
いい人というのは信頼できる人を指すのだろうし、ならば私が公開したいという理由以外で不特定多数に公開するのも無責任だろう。

また別の“同人活動をしていたらしいが趣味を開示し合ったことがない親しい人”に、最近創作本を作ったよ〜! というノリで本を見てもらったことがある。読書家のその方は当然のように私が作った際どい趣味の本を読み進めたので焦り散らかした私は「邪魔して心苦しいが今回は勘弁してください」と懇願した。
すると「悪いけど誰が作っただとか、何なら貴方が作った本だという認識で読んでもいない。ただこの話が最後まで読みたいのに、なんで貴方が読むのをやめさせてくるの? とさえ思う」と、いたく丁寧に伝えられた。(でもその場はなんとかやめてもらった)

以上の読み手の反応をまとめさせてもらう。

1.信頼できる誰かの感想を聞きたい
2.貴方=作者だと思って読んでいない

お気づきだろうか。

私が感想を言えばいいのである。私が私の本を読んで一緒に盛り上がるってワケ。
じゃあどうする??? そういえば軽いテンションで「私が本を読む頃には貴方には過去作」という話をされたこともある。その通りだ。製本が届く頃には中の話は私にだけはもう古い。

私は校正作業の時にようやく「出来の良い話やん!?」「みんな早く読んでくれ!」という気分になる。それが話に入れ込む最後のタイミングだ。(その後は自作がアホほどカスく感じられて、勢いで原稿を消さないように新しい話を書く作業に逃げる)
校正作業時の私も誰かと感想を言い合いたいと思っている。双方の欲求をぶつけ合えればwin winである。
だが校正段階でシェアは出来ない。読み手には完成形を渡してなんの心配もなくゆっくりと楽しんで欲しい。どうすればいいの〜〜!!? つづく


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