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字書き何故タイトルつけるの苦手か

タイトルを考えるのが苦手な人〜!
話書くの好きだがタイトルを考えるのが苦手な私だ〜〜!!


字書きの中にはある程度「タイトルをつけるのが苦手」という方がいる。克服法を求めて彷徨ったからこそ、そんな人が珍しくないと知っている。
でもタイトルをつけないと色んな不便があるので何とかつける。そんな人達がいる。私もその一人だ。

タイトルをつけるのは、物語を書くこととは全く別の技術を要する。これ間違いない。
それが努力か才能かはともかく、小説が書ける=タイトルが考えられるということでは断じてない。
絵が描ける=デザインができるとは限らないように。コピーライターと脚本家が別の職業であるように。料理を作るのが好きでも盛り付けが不得意な人がいるように。二つは全然別のスキルだ。

ブログのタイトルは簡単につれられて小説のタイトルはつけられないという人もいるらしい。
ちなみに私はブログのタイトルを考えるのも苦手だ。ワーハッハ!

おまけに私は自作を公開するための労力を費やすのも苦手だ。中身を作ることだけが好きで、閃いたら黙々と作っていつの間にか出来ている完成品をタイムラインに上げてまた消える。
そのスタンスを気に入ってくれる人は結構多いのだが、私はストイックなわけではなく単純にアップロード以外に何をしていいやら思いつかないだけなのだ。
「創作外の作業に興味がない」。この癖は私のタイトルを考えるのが苦手な部分に通ずるところがある。気がする。
つまり好きな作業と好きじゃない作業が同居しているわけだ。

タイトルというものはダイレクトにその作品の芯を説明し、色を伝えて関心を引いて、テーマを教えて整理にも役立つ。
私は一番最後にタイトルをつける。直球に名付けるにせよ変化球を放つにせよ、書き終えた作品とじっくり向き合う必要があり、尚且つ読者に思いを馳せて、適した言葉を選ばないといけない。

数文字の タイトルつける センスありゃ
書いていないよ こんな長編

いや勿論、話を作れてタイトルも上手な方はこの世に存在するのでしょう。だが私はそうじゃなかった。だから、この話はここでお終いなんだ。


というわけにはいかない。話を書きまくれば書きまくるほど、タイトルは必要になってくるのだ。タイトルを考える作業は重要で重大だ。やって損なし。これ以上適当なタイトルをつけるのはやめるんだ。(味のあるタイトル、いいと思います)

さて、どうしてこんなにタイトルをつけるのが苦手なのか。大事なことだが、タイトルをつけるのが苦手というのは必ずしもタイトルをつけるのが下手というわけではない。
苦手意識がある人が自分がつけたタイトルの上手い下手を測りがたいのは当然なのであえて私が言う。苦手だと言いながら考え抜かれた作品タイトルを見て案の定下手だと感じたことは一度もない。
商売ならば興味を引くと言う意味でのタイトルの上手い下手はあるだろうが、洋画のクソ翻訳以外の全てのタイトルには各々の価値がある。

あまり話を広げすぎると私も知らない激ヤバタイトルをご存知の方の苦しみに悪いので、趣味で書かれた小説のタイトルにスケールを戻す。
趣味創作物のタイトルは詰まるところ作者のセンスの表れでしかなく、上手い下手は「作者が望んだ働きをしているか」という観点からしか測れない。
商売ではないものを個々の読み手側の価値観に沿って優劣を語ることが有意義とも思えない。(でも指摘する自由が読み手にはあるよん。そして作者には応じる自由があるわよ)

ならば客観的な評価とも関係なく出でるこの苦手意識は何なのか?
それこそ「作者が望んだ働き」をタイトルに与える難しさによるものではあるまいか。
つまり、作者がタイトルに求めるもののハードルの高さが苦手意識を生み出す。
タイトルに担って欲しい役割があり、その役割に見合ったタイトルをつけられない。だから自分はタイトルをつけることが苦手だ。そんな感覚。

苦手だからいっそタイトルをつけない人も、適当なタイトルで済ませる人も、思い悩んでタイトルを捻り出す人にも苦手意識があるのなら、それは求めるタイトルがすっと出てこないせいじゃないか。

今から私が頑張るのでついてきてほしい。
私などはもう誰か得意な人につけて欲しいとも適当な識別番号でいいよ〜とも思う。そしてそんな自分を私は「タイトルをつけるのが苦手」だと認識している。適した題があるのかもしれないのに私には思いつかないからだ。

私がタイトルに求めているものって何ぞや?

私の場合、所詮区別ができればいいだけのタイトルに何を求めているんだろう。頭を柔らかくしたらこの苦手意識は消えるだろうか。諦めるんだ。もういいんだ……私はよく頑張った……。


いや、頑張って書いた話に「いい」タイトルつけたいやん!!!!

とんだ裏切りですが私はタイトルをつけることは苦手でもタイトル付けに纏わる楽しいこと嬉しいことはあるのだ。

タイトルを好きにつけて良い状況
タイトルをつけたら終わる状況
タイトルがついた時の達成感
タイトルのお陰で整理が楽な時

いいことあるやん! 苦手でもいいことあるなら頑張れる。いいことないなら苦しまないで診断メーカー使ってタイトル決めたって全然いいとマジで思う。
問題はいいことあるのに乗り気になれない私だ。
じゃあ私がタイトルをつける時に自分で自分にやらされている嫌な作業って何だ!?

書き終えた話の核心がどこか考える
既出のタイトルと被らないか考える
読み手に傾向が伝わる言葉を考える

ウワーーー!!! 見てるだけで苛々する!!!!

では、こんなに嫌な作業をしてまで私がタイトルに求めている役割は何なのか。それも考えてみる。

本文の足を引っ張らない
とっつきやすい
見た人がダサいと感じない
他のタイトルとのバランスがいい
文字や漢字が読める
ネタバレにならない
一生変えなくて済む

たかだか4つの喜びなどもう霞んだわ。

タイトルなんなんだマジで…………。

しかしよく読むとタイトルが悪いというか、私が欲張りなのだ。
傾向を伝えたい癖にネタバレは嫌
読めるタイトルにしたいけどダサいのは嫌

ハードルが高いというより、多い。
全て満たす技術がないのだから、私は自分の欲求を絞る必要がある。私が本当に欲しいものは? あ本当に欲しいものとは……!

表紙に書いた時カッコいいタイトル

新しいものを出してくるな。

でもそれでいいじゃないですか! 傾向が伝わるかとか他のタイトルとのバランスとかもうネタバレさえどうだっていい。
ていうかタイトルをつけることが苦手でない人達は、自分がタイトルに本当に求めているものを理解しているから苦手やないんやないやろか??

これからは私は表紙にした時にカッコいいかだけで話のタイトルを決めます。ネット上だとダサいとかもワシはもう知らん。

ということでタイトルがつけるのが苦手な人はまずタイトルに求める役割を一つに絞ってみるか、妄想上でいいので表紙にした時にカッコいいかどうかだけでタイトルを考えてみてください。
それが難しいんだよという人は利のない記事で本当にすまん! うちはこんな記事ばっかでな!
読んでくれてありがとう!

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