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我こそは見るたびに一次創作してるっぽい人

同じ図書室でずっと勉強をしている人を見て「あの人も頑張ってるし自分も頑張ろう」と感じるように、私が一次創作を楽しむ様が誰かのやる気の足しになれたらいい。

とnoteを書いている理由を口にした時に、それを「切磋琢磨する隣人」と表して貰えた。いい表現だな〜〜。
切磋琢磨する隣人がいればいいと思うし、切磋琢磨する隣人でいたい。
話し合う友人ではなく(一次創作の時間が減るので……)ただお互いに、ふとした時に相手の努力を見てやる気を高め合えたらとてもいい。
感銘を受けてまるで思いつかなかったnoteの説明文に拝借しました。ありがとね〜〜。

小説を書いている時。筆が乗るままに文章を書いてから、馴染みのない言い回しは不親切かと簡易的な表現に直すことがままある。
しかし直すばかりでは私が書いた私の文章がなくなってしまうので時折踏み留まり、難読熟語や専門用語をそのまま残す勇気を出す。

そんな時に私はある言葉を思い出す。とある個人ブログにあった言葉だ。有名原作の舞台化5作目の感想記事にそれはあった。
同シリーズ舞台に通いに通ったその方は、毎回時間を割いて語られる主役二人の出会いのシーンのくどさに苦言を呈していた。
「もっと観客を信用してほしい」と、その方は不満を言葉にしていた。

既出の同一シーンを繰り返す利点は山ほどあろう。私自身舞台ごとに異なる演出を見比べるのは好きだ。世界観も伝わる。
初見の観客を置き去りにするのだってよろしくない。だが、くどさを感じたリピーターがいたのも確かだ。
現場の苦労を知らずに不要と断ずる行為は不躾であるが、それとは違う。
舞台化5作目となれば「わからなければ調べてくれ」のスタンスで繰り返されてきたシーンを削ってもいいのではないか、という主張には大いに頷けた。
説明描写のくどさに投げかけられた受け手からの訴え。

「もっと観客を信用してほしい」

私が文章を書き連ねている時。しつこさに目を瞑って描写を付け足そうとする/およそ聞き慣れない言い回しを直さんとする行動を程よく堪える為の決断はこの考え方に倣って下される。

「もっと読者を信用しよう」


……とはいえ丸投げはやはり不親切なので削るとこは削り足すとこは足したりする。維持も添削も両方大事だ。
快適に読めて楽しく読み進められる文章で話を書けたらいいな。
かつ自分の文体の旨味を見つけておきたい。文体を物語ごとに変える試みは本数が増えたが故に味わいが増してきた。ストーリーの雰囲気に合わせて僅かに文体を変えるのはテーマに合わせて絵柄を工夫するような感覚で面白い。
何よりも自分も何か作りたいと思って貰える物を作れていたらいいな。パッションをこめるんや〜〜! ほんまに伝えなあかんのは熱意とハートやで〜〜!(関西圏の妖精)


読んでくださってありがとうございました。

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