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もらうことばかりを求めない


おはようございます。


高校生の頃に買ったキングダムを久々に読み返したら見え方が全然違ってキングダムに惚れ直してしまったタケマサです。


読み返すきっかけは金曜ロードショーでやってた実写版映画「キングダム」でした。素晴らしい映画でした。ちなみに単行本の方は40巻までもっているのですが、40巻まで制作するのに約10年かかったそうです。確かに一枚一枚がとても濃いものになっております。現在は57巻まで出ているそうなので今度続きを読みたいと思います。


さて、

今日は『求めるばかりじゃ苦しくなる』というテーマでお話ししたいと思います。


【与えることと与えられること】


「与えることと与えられること」

これは私たちの生活で常に起きています。何かを与えたら何かが返ってくる。もしくは与えるだけ。もしくはもらうだけ。いろんなケースがありますが、1日の中でもたくさん起きていることです。


ですが考えてみてほしいことがあります。

「与えること」

「与えられること」

「与えることで与えられること」

「与えられたことで与えること」

それぞれどのくらいの割合でしょうか?


これはあんまり意識してない人が多いのではないかなと思います。


これについて私の視点でお話しさせていただきます。


【「フェーズ」によって変化する立場】


私は現在22歳になり、今年度で大学を卒業し、来年から社会人になる予定です。社会人になるということは当然、社会の中で働いてお金を稼いで生活を支えるということになります。これまで学生という肩書きに守られていた私は社会人として自分で自分の身を守らなくてはいけません。さらに家族を持つとなると、家族を守る側になるのかもしれません。

このようにして人は歳を重ねて変化していきます。

ですが、これはあくまで「社会的側面」からみた変化です。


もっと内面的なところで見ていきましょう。


赤ちゃんから高校生くらいまでのときは特に「何かを与える」という考えは持ち合わせていませんでした。常に「与えられる」側として立ち振る舞い、そしてそれが当たり前だと考えていました。

そして大学生になった私は少しずつ「与えられる」側から「与える」側への考えを知るようになりました。これは留学やバイト、読書などを通じて自発的に変化していったものです。決して自動的ではありません。


ここで伝えたいのは

「与えるには自発的な行動が必要」

だということです。


与えられる側から与える側へのマインドチェンジに年齢は関係ありません。若年にして気づく人もいれば、死ぬまで気づかないものもいます。


(これは与える側になるからといって与えられなくなるわけではありません。両面を持ち合わせられるようになるということです。)


あとここで押さえておかなくちゃいけないのは、物質的に与えることが本質的に「与える」ことにはならないということです。ここはそれぞれ考えてみてください。


当然ですが、私たちは生まれた瞬間は「赤ちゃん」なわけで、完全に弱い立場にいる生き物です。なので「与えられる(守ってもらう)」ことでしか生きていけません。ですが少しずつ成長するにつれて独立することができるようになります。


社会的に独立した人でも、精神的には常に「与えてもらう」ことばかりを考えている人は少なくないと思います。どういうことかというと、そういった考えを持つ人は内面的な独立ができていないのだと思います。

例えば、

学生の頃までは「親」に依存していたが、社会人になったら「会社」に依存し、コミュニティーに入ったら「リーダー」に依存するような形です。「恋人」に依存する人もいるかもしれません。


もちろん、社会人になったら形として「与える」ことはしています。会社に対しては「労働力」、コミュニティーに対しては「対価」、恋人に対しては「プレゼント」などなど。


ですがこれは本質的な「与える」ではないのかなと思います。

そういった人たちは依存先がなくなるとたちまち混乱し、どうしたらいいのか分からなくなることがあります。中には「依存先が問題だー!」と文句や異議を申し立てる人もいます。こういった人たちはいつまでも「与えることとは何か」に気づかないままです。知らぬ間に自分の首を絞めていることにも気づいていません。


人はいつまでも与えられてることを求めていたら苦しくなっていくと思います。偏りのある関係性は長続きしないのではないかと思うからです。どんなことでもそうですが、与えるのは「エネルギー」が必要になります。


ここを見落としているといつかあなたは何も受け取れなくなるかもしれません。ずっと受け取っていたはずなのに空っぽなこともあります。


【どうやって生きたいか?】


自ら与えることができると一人でも立つことができます。ですが一人で生きられるというわけではありません。周りの人と一緒に協力しなければなりません。

私は

人と人が倒れかかりながら支え合って生きていくのではなく、まっすぐと立ってみんなと手を取り合って支え合って生きていきたい

と思っています。


誰かがつまずいて転びそうになったら手を引っ張って助ける。自分が倒れそうになったら周りの人の手を掴んで引き上げてもらう。

そんな感じで、自分たちは弱いながらも協力し合い、与えることと与えられることを繰り返して生きていければ素敵だなぁと思います。


【最後に】


なんでこんな話をしたかというと、私が「与えられる」人になれたかどうかは分かりませんが、「与えてもらうこと」を強く求める人と接しているときに「疲れるなぁ」と感じたからです。


ですがこれは相手が気づくことではないので、少しでも接し方が悪くなると「なんなんだよお前」みたいな感じで言われたり、「俺って嫌われてるのかな?」と相手が自暴自棄になってしまうこともあります。

ですが、ここでは私がそもそも与える人としての器が小さかったというのも原因だと思います。まだまだ未熟な私なので見解として足りない部分があると思いますが、なんとなく変化が起きていることを感じています。


あなたは今どんな風に振る舞っているでしょうか?

良し悪しというより、自分で考えてみてください。「自分がどうしたいか」が大事だと思います。

少しでもあなたの力になれたら嬉しいです。


では今日はこの辺で以上になります。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


またね〜


タケマサ



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