小さな幸せの積み重ね
こんばんは。
夏の陽気に焦りと不安を覚えながらも、まだ見ぬ世界に心を踊らせているタケマサです。
昨日一昨日の二日間note更新できずにすみません!(待ってる人いた?笑)この二日間はnoteに発信する内容について考えていました。
この期間に考えたこととして、
これまで私は世間で話題になっている内容や過激な事象については取り扱うことを控えています。そしてこれからもそういった内容を扱うつもりはありません。私は私の置かれている立場から世の中に対して意見をすることよりも、自分が今何を考え、どうしたいのか、何ができるのかを考えて発信したいと思っています。
私の手が届く範囲はとても小さいですが、できることは少しずつでも積み重ねていきたいと思います。
前置きはこの辺までにして、、、
今日は『感覚の引き上げ方』というテーマでお話ししたいと思います。
私たちは普段から、あらゆる出来事に対して良し悪しを自分の持つ感覚の基準によって判断しています。同様に喜怒哀楽などの感情も自分の感覚によるものが大きいです。今回はそんな大事な「感覚」に注目していこうと思います。
もちろん感覚が全てではないですが、心理的に与える影響が大きいと思うのでちょっと整理してみたいと思います。
あと、今日の記事はかなり長いので時間あるときに読んでください。それかサラッと読んでください。笑
【セトちゃんさんの話】
今回は「個人がどう感じるのか」に焦点を当ててお話ししたいと思います。
私はnoteを使って他のユーザーさんが発信している内容について見ることがあります。人それぞれ違って視点があって、そこから考えるアイデアは面白いことが多いです。
そんな中、前の記事でも紹介したことがある人なんですが、
(株)NISHINOで武者修行をされているセトちゃんさんが面白い記事を書いていました。
この記事で触れられていることは先日行われた「キンコン西野に勉強を教える会」をやった後の感想やこれからの意気込みでした。
この記事で私が注目したのがセトちゃんさんの「感覚」でした。
この感覚というのはざっくり説明するとこんな感じです。
セトちゃんさんは過去にパリのエッフェル塔でキンコン西野の個展責任者を経験していて、成功に終わったこの経験が大きすぎて、今回の「勉強を教える会」での達成感は束の間の休息くらいにしか感じなかった
ということでした。
ちなみに「勉強を教える会」というのはオンラインで行われて、講演料100円でBASEで販売したら3000人以上の一般客が購入されたそうです。つまり、一般大学生が3000人の人の前で講演をしたということです(有料で)。
これは私にとってはとてもすごいことだと思っています。同じ大学生なのにやっていることはスケールが大きく、普通じゃできることじゃないと思います。
にも関わらず、やり切った後の達成感を噛み締めることなく、次を見据えていらっしゃいます。
「飽くなき探究心」って感じですね。
【幸せってなに?】
素晴らしいことだと思いますが、幸せという観点から見てみると「この人は幸せなのだろうか?」と思ったりしました。
セトちゃんさんの人柄をnoteを通じて察するに、とても明るく楽しそうなのでセトちゃんさん自身は現在もこれからも幸せを感じられるとは思いますが、「自分だったらどうだろう?」と考えてみました。
私だとしたら「幸せを感じにくくなりそう」だと思いました。
時期早々にして「パリ個展の責任者」というでかい仕事を受け持つことで自分の基準がグーっと上に引き上がります。この高さの達成感や仕事のスケールを知ってしまうと良くも悪くも「上のレベル」の感覚で生きていくことになります。
あなたも聞いたことがあるかもしれませんが、生活水準を一度上げてしまうと下げることがとても困難になります。これは感覚の世界です。実際には事足りたとしても感覚として「物足りなさ」を感じてしまう。「満足できない状態」ということです。
普段からタクシー移動をしている人にとって「今日からは自転車を使って移動しないといけない」となったら結構辛くなりますよね。自分が作った基準を下方向に修正することはけっこう難しいことなんです。
悪い例えをすると、過去奇跡的に自分とは釣り合わないような可愛いA子さんと付き合えた経験があるとします(マジで奇跡的に)。そうすると今後付き合う基準を「顔」に設定したとすると、自分が釣り合うレベルまで成長していなかったとしたら次付き合う人を考えるときに「俺はA子くらいじゃないと満足しない」となり、相応の相手では満足しなくなり、現状では結局幸せを感じにくくなってしまいます。
かなり極端な例えをしましたが、上げた感覚を下げることが難しいことは私たちの身近なことでもよくあることです。
そう考えると、セトちゃんさんのグッと上がった感覚は普段の生活に転がっているものでは満たされないので「物足りなさ」を感じやすいと思います。素直に自分の頑張りを認められない感じがして、一度味わった"持ち上げられた感覚"に合わせて同じような規模感の活動を今後していくと思います。ここで私が懸念しているのは「頑張らざるを得ない環境」です。
満足するためには頑張らないといけない。でも頑張ることが苦しくなったりする。「苦しいなら頑張らなくてもいいじゃん」と声をかけたいですが、それは相手の幸せを阻害する行為にもなりかねない。こうやって考えると幸せってなんなのだろうと考えさせられます。
【私が幸せを感じるとき】
では自分だったらどんなときに満足して幸せを感じているのだろうと考えてみると、、、
私にとって小さな幸せを感じる瞬間の一つとして「成長を実感するとき」があります。
「成長」は他者との比較ではなく、自分が過去の自分より進んだことを確認できたときに感じることができます。絶対値的な進み方に近いのかなと思います。これは前向き(プラス)だけではなく、後ろ向き(マイナス)でも同じです。ですがここには常に「感覚」が付きまとうため、感覚の基準がどこに設定されているかで成長を感じられるかどうかを左右します。
もっと言うと、
成長というのは「過去作った基準のものさし」で測られるものだと考えていて、過去の自分が作った基準に満たないと物足りなさを感じ、「俺って何やってるんだ」みたいになります。満たないケースが続くと自己否定みたいになっちゃって幸せとは縁遠い感じになっちゃいます(私の場合)。なので再現できないものさしを一度作ってしまうと幸せを感じにくくなるんじゃないかと思います(どれくらいの長さで移動幅を測定するかで捉え方が変わるから)。
少し内容がごちゃごちゃしてきて、自分でもうまくまとめられていないのですが、もっと簡単に言い換えると、
過去に自分の力以上のことを経験してしまったら、今後活動していくときに常にその出来事と比較して「あれに比べれば大したことない」と感じ、満たされることが減ってしまうのではないか
ということです。
上記の懸念点からすると、
小さくてもいいから着実に身の丈にあった活動の繰り返しが幸せの感度を上げる順序が最適なのではないか
と思います。
(✳︎忘れてはいけないのが、ここで話しているのはどういった人が成功するとか人としての良し悪しとかの話ではありません。幸せという感覚の最大化のために感覚の基準をどのように引き上げていくべきかということについてお話ししています。)
【最後に】
今回は自分の幸せを感じる時の一つのものさしとして「成長の実感」を挙げさせていただきました。当たり前ですが、人はいろんなものさしを持っているので一概に「成長」という側面だけで幸せを語ることはできません。
ですが、今回お伝えしたいのは
世の中の風潮に従って「頑張らないといけない」と自分に言い聞かせて望まないつらい思いをする必要はないんじゃないかな
ということです。
現在の生活に満足しているなら、それを維持できるくらいに頑張れればいいと思いますし、現状で不幸だと思うなら幸せを感じられるように頑張ればいいと思います。それぞれ状況にあったやり方があると思います。
自分の身勝手な「見栄」のために、今ある大切なものを失いたくないなぁと思ってます。
一つの基準として「満足する」ことが幸せを感じる瞬間でもあり、満足する瞬間を作り続けることが幸せという刹那のようなものを人生の中で長くすることができるのではないかと思います。
私は今ある小さな幸せを大切にし、それを守れるように頑張ろうと思います。つらくなって倒れそうになったら素直に休憩しようと思います。マイペースだとバカにされようが、私にとって日々の中にある小さな幸せの積み重ねが人生にとって大事なものなんじゃないかなぁと考えたりもします。
藤井風さんの「特にない」という歌を是非聞いてみてください。
素敵な歌詞とメロディに私は考えさせられることがありました。
ここまで読んでくれた人はかなりの忍耐力をお持ちです。
自信を持ってください。笑
最後まで読んでいただきありがようございました。
今日はもう夜遅いので寝ます。
おやすみ〜
タケマサ
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