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【短編小説】まんが道・その1

「やまもとー。また漫画描きよるん」
いつものように、昼休みに漫画に没頭していると、いつものように幸子がからかいに来る。
「そうじゃ、読むか。読ましちゃる」
「いらんわ」
そう言いながらも、幸子はワシのノートを覗き込む。見ちゃれ見ちゃれ。ワシがデビューしたら、こんな生原稿なんぞ見れんぞ。ほれほれ。
「やまもとー。ほんまお前、絵が下手くそやなぁ」
「なにお」
「小学生でも、お前より上手いわ」
「描いたことねーくせして、ええ加減なこと言うなよ!」
「お前、自分が解っとらんのう」
「そりゃプロと比べたら下手かも知らんが、漫画は絵だけじゃねぇんじゃ」
「抜かすのう。なら、最初から見せてみい」
 幸子はノートを取り上げて持っていく。書き上げると、必ずそうされた。悪い気はしない。ワシの漫画に関心を持つのは幸子以外、誰もいないからだ。
 ワシは漫画描いとる時が一番楽しい。自分で描いといて自分でワクワクする。次はこうしちゃろう、次はこうしたほうが面白かろう。次々にアイデアが湧いて、描く手が追いつかん。小学校の頃から、あんまり熱心に描くもんで、みんな何事かと寄ってくる。が、二、三頁読んで、もうええわ、と返してくる。
「面白うなかったか」
心配して訊くと、答えはいつも同んなじじゃった。
「これ漫画じゃろ、いや、絵がひどすぎるわ。読む気にならん」
わかっちょらん。ああ、わかっちょらんのう。確かに漫画で絵は大事じゃ。じゃがの、筋も同んなじくらい大事なんじゃ。そりゃ両方上手けりゃ文句はないが、ワシは小学生じゃ。絵は、おいおい上手うなる。
と、思うておったが、高校になった今、全く絵は上手うならなんだ。

 高校に入りだちのときは、ワシのことを知らん奴も多いけえ、小学校のときのようにみんな寄って来た。そして、小学校の時のように呆れて近寄らんようになった。ただ奇特なことに、幸子だけが、ワシの漫画にずっと関心を持っていてくれた。
 放課後、帰りしな幸子が寄って来た。6時間目のチンプンカンプンの古文の授業の間、幸子は教師に隠れてワシの漫画を読んでいた。
「やまもとー。このノート借りてええか?」
「なんか、やっぱ面白かったか」
ニヤニヤが止まらん。そうじゃ、読めばわかるんじゃ。読めばの。
「絶対返すけえ、暫く借りてもええか」
「ええよええよ。ひと月でもふた月でも、心ゆくまで堪能したって」
さらに幸子はニコリともせず、こう訊いた。
「この漫画のタイトルは何ちゅうの?」
「教えちゃろう。"怪人赤マント"じゃあー!"」


「警部。貴方は運命を信じるタイプ?」
 背中合わせに、そう訊かれた。硝煙に混じった女の匂いが鼻につく。胸に構えたピストルが、デッキのライトに鈍く光った。おそらく背後の仮面の女もコルトを構えているだろう。咄嗟に離れて引き金を引けば、どちらか必ず、あるいは両者がともに倒れる。
 夜空を見上げる。明池は迷っていた。自分が撃たれるのは構わない。問題なのは、女を撃てるかだ。しかも急所をはずして。よしや上手くいったとしても、仮面の女は負けを認めるだろうか。捕まる屈辱よりも、死を選ぶのではないだろうか。明池は決断できないでいた。
「こういうのはどうかしら」
歌うような声がした。
「10、数えるのよ。10数えたら、お互い飛び退いて引き金を引く。10秒後に、必ず決着はつく」
「生死を賭けた決闘か。まさか女性とするとはね」
「あら、これからは男女同権の時代が来るわ。怪盗紳士は怪盗淑女。時代は変わるのよ」
「ご教示恐れいる。光栄だよ、お相手できてね」
「優しいのね。教えてあげるわ。貴方みたいな方を、アメリカでは、フェミニストって言うのよ」
「フェミニストね。おぼえておくよ」
「ふふ。物分かりがよろしくて。それじゃ、はじめましょう」
一瞬の沈黙。
命をかけた10カウント。情けをかけた方が死ぬ。
「俺が死んだら、念仏くらいお願いしたいね」
「残念ね。あたしキリスト教徒なの」
笑って赤マントは数えはじめる。
「10、9、8、7・・・」


「健ちゃん健ちゃん!」
ああ、お嬢さまのお帰りだ。もう、そんな時間か、と時計を見る。
4時半。
退勤まではあと30分。仕事が暇で思わず寝てしまった。
親父さんは、商店街の寄り合いに行っている。なんでも駅前に大型スーパーができるとかで、商店街を中心にザワついているらしい。こっちは急ぎの家電修理もないんで、幸子が帰れば、店も任せられる。今日は早く帰れそうだ。
「お帰りなさい」
「もー、毎日覇気ないなぁ」
「いや、俺は普通ですよ」
幸子はいつもそのまま2階に行くので、30分たったら帰ると言っとく。
今日は、珍しく幸子が店まで出てきた。
「なんか用スか」
幸子はやけにニヤニヤしている。
「健ちゃんに頼みたいことがあるんじゃけど」
「え。なんスか」
「健ちゃんにしかできんことなん」
いきなり何を言うやら。
電気工事以外のことなら、たいてい俺のできることは、誰でもできる。
「二階の電気のアンバイ悪いんですか」
「違うわ。これじゃ」
と、ノートを差し出す。
「なんですか、これ」とパラパラめくる。
「友達の漫画じゃ」
「はは。落書きかと思うたが」
「下手じゃろう」
「救いようがないですの」
悪いが、笑ってしまう。
「直してくれん?」
「なんで俺が」
「読んで直して欲しいんじゃ」
思いがけず、声が真剣だった。
「えっ。なんで?」
「どうしても、健ちゃんに直して欲しい」

 揺れるダグボートで貨物船に近づく。既に海上保安庁の巡視艇が、進行方向を塞ぎ、横付けした別の艇から乗り込んだ隊員が、船を制圧している。
 貨物船から縄梯子が垂らされる。足をかけ、梯子に体重を乗せる。
「明池警部。今、参ります」
「大林刑事、お気をつけて」
後ろからの声を聞き、頷いた。
サーチライトが眩しい。半ばまで登ったところで爆発音がした。船腹からでも、夜空を焼く紅蓮の炎が見てとれた。
「まずいぞ。火をかけた!」
「自裁でもする気か!」
「放水!放水準備!」
海上保安員と刑事たちの声が飛び交う。
上り切ってデッキに立つと、炎の壁が幾重にも立ち上っていた。
「殆どの賊は確保しました」
報告が入る。そのすぐ後ろを消火器を持った隊員が走っていく。
「火は赤マントを逃がすために、放たれた模様です」
「赤マントは未だ確保できず」
次々と報告が入る。
「警部は、明池警部は無事か」
「未だ、消息不明」
「全力で捜索せよ!」
「は!」
巡視艇からの放水が始まった。
そこへ、音高く銃声がした。一発。いや、二発。
ずぶ濡れになりながら、大林は、炎の間隙を突いて走りだす。

「ちょ、ちょ、ちょっと、サッちゃん」
「誰がサッちゃんじゃ、馴れ馴れしい」
「いや、木村さん。これ、ちょっと聞いてないど」
「当たり前じゃ。相談してない」
「いや、そうじゃが。いくらなんでも」
「なんじゃ?」
「赤マントが、これ、女になっとるど」
「こまいこと、気にすな」
「こまいことじゃなかろうて。女じゃ辻褄が合わんじゃろう」
「ほんま、ちっさいやつじゃのう。辻褄が合わんて、どこがじゃ」
「最初の話で、赤マントは令嬢を小脇に抱えて、アドバルーンで逃げるんじゃ。女じゃ無理じゃ」
「力持ちの女もおろうが」
「赤マントはわはははちうて笑うど」
「わははて笑う女もおるど」
「そんなん、おらん」
「わははははは」
「いや、サッちゃん、どうしたん?」
「サッちゃん言うな。わはははは」
「いや、お前が笑わんでも」
「目の前におろうが、わははちうて笑う女が」
「無茶苦茶じゃのう」
「大丈夫。健ちゃんは、ちゃんと考えてくれてるから」
「研ちゃんて、俺のことか」
「アホ。違うケンちゃんじゃ。山本、お前なんぞにケンちゃんて言うか!」


倒れた赤マントを抱き起こす。
「君は・・・」
 飛び退くと同時に振り向いて、狙いを定めて引き金を引く。その手筈。
「1」
の声を聞いたとき、左に飛びながら振り向いた。が、その時、赤マントは目の前に立っていた。赤マントは下がらずに、同じ方向に飛んだのだ。
なぜ。狙いを外そうにもあまりにも近かった。頭の中のシミュレーション通りに指は動いた。
引き金が引かれた。
銃声が響く。赤マントのコルトは、下げられた手の中でデッキを撃った。
スローモーションのように、赤マントは崩れ落ちた。

抱かれた赤マントは明池に言う。
「仮面を・・・」
鮮血が見る見る赤マントのワイシャツに広がる。もう助かるまい。
仮面を外してやる。
美しい女の顔が現れた。
唇が動く。
「話すな。傷に触る」
遠くで隊員たちの声がする。
「発見! 奪われた"ジャガーの涙"発見しましたぁ!」
女は微笑んで、こと切れた。
「警部」そばに大林が立っていた。「ご無事ですか」
「ああ」
「それは?」
「赤マントさ」
「女じゃないですか」
「ああ」
「いえ、女などあり得ません。赤マントは他にいます」
「大林」
「はい」
「赤マントを一人だと思うな」
「えっ。一人ではないのですか」
「犯罪の数だけ、赤マントはいるのさ。いや、違うな。差別と貧困と不正義と、この世にはびこる納得できない様々のこと、理不尽な出来事に赤マントは挑戦状を叩きつける。だから、赤マントは一人じゃない。ほら、見てみろ」
デッキにいる隊員たちの目が、吸い寄せられるように、"ジャガーの涙"に注がれている。職務がなければ、彼らは駆け寄りさえするだろう。
 これが人間さ。ほんとはダイヤなんてない方がいい。赤マントはそれを教えてくれたのさ。大林刑事、そうは思わんかね」
大林は、それには答えず、大声で命令する。
「隊員諸君! 刑事諸君!  消火活動、並びに残りの賊の逮捕に全力をつくせ! 怠らず職務に邁進せよ!」

「なぁにそのノート」
退勤する前、サッちゃんから預けられたノートを開く。不審に思ったのか、さえ子が近づいきて、そう訊いた。
「幸子の友達が描いたんじゃって」
目はノートに落としたまま答える。
「へえ〜」とさえ子も覗き込む。「でも、失礼じゃけどあんまり上手うはないかも」
「まぁ、こんなもんじゃろ。じゃが、描き慣れちゃあおるな。線に迷いがないけえ」
「ふうん。鉛筆書きでもわかるん」
「ああ。じゃが、さえ子の言う通り、絵は上手うはならん」
「どうして」
「描き慣れちゃあおるけど、絵に熱がない。上手う描こうとしてない」
「あらら手厳しいの。で、なんでサッちゃん、健ちゃんにこれを?」
「うん」と言い淀む。「筋は、筋は面白いんじゃが」
「お話としては、面白いん」
「面白い。けど、もっと面白うなる」
「描いてあげたら」
さえ子を見る。サッちゃんと同じことを言った。
「2種の資格も取れてたんじゃから。健ちゃんは描かんでも、今描いてる子に、なんか
ヒントをあげちゃれば。そんな本格的じゃのうても、この子みたいに、ノートに鉛筆で描くくらいで。この子を助けてあげちゃれば」
 ずっと離れていた。電気工事士の試験が終わって合格できても、再会できたさえ子とこうして恋人のように話せても、ケジメのように漫画は封印していた。いや、描く意味がよくわからなくなっていた。
「いや、ええよ」
ノートを閉じる。
「あたし、描いて欲しい。健ちゃんに」
「いや、俺の絵柄は古臭いけえ」
「ええじゃない、古臭うても。もいっぺんだけ描いてみて」
「なんで俺にそんなに描かせたいんか」
「私のせいで諦めるんなら、嫌じゃから。私のことやら、家族のことやらで、健ちゃんばっかり諦めさすのは嫌じゃから」
驚いた。そんなことをさえ子は思っていたのか。
漫画か。随分描いてない。あんなに好きじゃったのに。そう言われればどうしてじゃろうか。
「やめる」とか「卒業」とか「諦める」とか、そんな言葉で気持ちを抑えようとしていた時期はあった。
今は、封印する必要はないはずなのに。
でも、ペンは取らない。
確かに、ちゃんと考えたことはなかったかもしれない。
俺はもういっぺんノートを開いた。

            了









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