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【短編小説】バット

 僕たち兄弟が野球チームに入れてもらえるのは、全くバットのおかげだった。草野球で必要なのは、まずボール。次にバット。グローブは三番目。のはずなのだが、なぜか近所にグローブを持っているやつはいても、バットを持っているやつはいなかった。なるほど、人数が集まらなければ、野球の試合はできないし、家の前の道路でやれることといったらキャッチボール。(車なんか、滅多に通らなかった)だから親に買ってもらうのは、ボールの次にはグローブとなる。でも、バットがなければ試合はできない。必然バット持ちは、皆から一目置かれることとなる。勿論技量的にではなく、バット的にである。
 なぜ僕たち兄弟が貴重なバットを持っているかというと、それはもらったからである。大洋ホエールズの親会社「まるはフーズ」にお勤めの家があって、忘年会か何かの景品でサインバットを当てたそうなのだ。けれど当時は野球人気は高かったものの、フアンはほぼ巨人という状態だった。巨人大鵬卵焼きの時代だった。まして山口県なんて片田舎では、テレビ中継がほぼ全試合ある巨人戦が毎日の娯楽の中心で、ほかの球団なんかウルトラマンの怪人並の扱いしかされていなかった。加えて、そのバットの当たったご家庭には娘さんしかおらず、長くて邪魔なだけのバットは、ただ近所と言うだけの理由で僕たち兄弟の物となった。
 それまでは家にはボールが一個とグローブが一個きりしかなかった。グローブは兄弟共有という建て前ではあったが、当然兄貴の物で、兄とキャッチボールをやるときは、僕は素手となる。へたな上に手が痛い。小学校三年の兄が、いくら手加減しているとはいえ、一年生にボールを投げ込むのである。とれるわけがない。やがて兄は相手にならない僕ではなく、キャッチボールの相手を見つけに放課後の小学校へ通いだした。一人でいてもつまらないから、僕も兄の後ろにくっついていた。
 小学校の校庭には六年生がいて、やれ長島だ王だ柴田だと口々にわめきあってはボール投げをした。バットはないのだ。いや、あるにはあったが、大人用のやけに重い木のバットだった。僕も一度振らしてもらったが、振ると遠心力で体が持って行かれて、まともに立っていられない。六年生でも、そのバットは重すぎるみたいで、振りもへなちょこだった。当時は、野球であれ何であれ子供用のものなんてなくて、みんな大人用のものをムリして使っていた。自転車だって、三角乗りで曲芸のようにして大人の自転車に乗っていた。それでもそれが当たり前だと思っていた。
 ご近所からもらったサインバットは本来ゲームで使うものではないらしく、小ぶりの代物だった。きっと本来は飾り棚なんかに置いて楽しむ観賞用であったのだろう。でも僕たちには関係ない。思い切り振れるゲームにぴったりのバットであった。書いてあるサインなんか勿論読めないし(だから落書きといっしょで)、刻印されている「まるは」のロゴは、魚肉ソーセージでおなじみで、親近感さえ湧くものだった。なにより僕たちの心をトキメかせたのは、そのワックスがかかった白木の美しさで、小学校へ提げてゆくなり、僕ら兄弟は放課後のヒーローになった。
 当然のごとく、集まった人数を二手に分けて試合が始まる。僕らのバットは大活躍で、人から人へ手渡しに、次々に上級生たちの間でやりとりされた。兄は十回にいっぺんくらいの割合でバッターボックスに立たせてもらって、三振してはベンチに返った。守備はライトで、これは僕と一緒に守った。兄はそれをひどく嫌がって、兄のずうっと後ろに追いやられ、でも結局飛んでくるボールを兄は一度だって捕ることはできず、僕が追いかける羽目となる。
 バットのおかげで、僕らは上級生からちやほやされて、三振しても文句は言われず、エラーしたってドンマイですまされた。日が暮れるまで、僕らはそうして野球を続け、ボールが見えなくなると、六年生の誰かの声で試合終了となる。バッターボックス付近に打ち捨てられたバットを拾い、僕らは今日の試合のあれこれを話しながら意気揚々と家路についた。そんなとき、兄の言うことはいつも決まっていて、自分の打席の時はピッチャーがストライクを投げないというものだった。六年生が三年生なんかに打たれるとカッコ悪いので、ストライクは投げてこないそうなのだった。兄はそれを承知の上で、わざと三振するそうなのだった。ほかの六年生もそれがわかっているから自分を責めないそうなのだった。帰りの兄はいつも上機嫌で、明日も行くぞ、と言う。俺がいなきゃ始まらないかんな、とバットを撫でる。
 そしてその日は不意にやってきた。白木のサインバットが折れたのだ。ずっと使われ続けて、ヒビでも入っていたのかもしれない。インコースに投げられたボールを、中で一番体の大きな六年生が振りにいくと、ボールはバットの根本に当たり、そこできれいに二つに割れた。バットの先はピッチャーとバッターのちょうど真ん中くらいに飛んでいき、そこでくるくる回って止まる。六年生は、痛てえ、手がしびれたあ、と大声を上げて、折れたバットを放り投げた。それは、僕ら兄弟の前に転がってきて、兄はすぐに無言でそれを拾った。僕は反射的に残りのバットを拾いに駆けだした。攻撃の時の僕の役目はバットボーイで、僕はこの仕事を密かに誇りにしていたからだ。戻って、そのバットだった物を兄に渡すと、くっつきもしないのに、兄は二つの残骸の傷口を合わせては離し、合わせては離しした。バットがないので試合は終了で、六年生たちは笑いながら帰って行った。誰も僕ら兄弟に声をかけなかった。僕らは夕暮れの校庭に取り残された。
 初夏だったと思う。僕ら兄弟は二人ともランニングに半ズボン、月星ズックをじかに履き、もうすでに真っ黒に日焼けしていた。誰も居なくなった校庭から僕らはずっと夕焼けを見ていた。赤く燃えていた西空が暗い紫になって、もうその頃は校庭はただひたすらに暗かった。隣の兄の顔さえ見分けがつかなかった。
「兄ちゃん。帰ろう」
そう言ったが兄は何も言わなかった。たぶん兄は悔しかったんだと思う。六年生たちは謝りもせず帰って行った。バットが折れたのが惜しいわけではなかった。謝りもせず、バットが折れればもう用なしにされた仕打ちを怒っていたのだ。僕も哀しかった。哀しがったが、暗くなる空がそれ以上に心細かった。泣くまいと思ったが泣けてきた。僕が泣くと、こらえきれずに兄も泣いた。二人で泣いていると、心配した母が迎えにきて、二人母に抱かれた。
「バットが折れた」
それだけ兄は言って泣いた。僕は何も言えず。ただ、ただ泣いた。割烹着ごしの母のにおいは甘かった。
             了

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