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【昭和歌謡名曲集48】あしたのジョー 尾藤イサオ

私の中学時代は「あしたのジョー」と共にあった。もう連載も終わって、全20巻のコミック本は出揃っていた。小学校時代、漫画本を買ってもらえなかった私は、散髪屋で漫画を読むしかなかった。そこには、サンデーとマガジンがあった。月一回散髪に行ってひと月分読む。だが、古い号は捨てられてて、どうしてもとびとびになる。抜けてるとこは想像して読んだ。お気に入りは、「デビルマン」と「あしたのジョー」であった。テレビアニメも始まった。「あしたのジョー」は途中までだった。「デビルマン」は漫画とアニメでは違っていた。散髪屋は、やがて「ジャンプ」に変えたので、中学になって、「デビルマン」は貸本屋で借りて読んだ。凄かった。
「あしたのジョー」は小遣いで、せっせと集めることにした。月に一冊。夢中で何度も読んだ。
筋としては、私は力石が死んでからの方が好きだ。ライバルが死んで、顔面が打てなくなり、落ちるとこまで落ちて再び立ちあがる。新しい敵もどんどん出てきたが、ジョーは結局力石と戦っていた。誰と戦っても、それは力石と戦うことだった。翻って言うなら、彼は自分と戦っていた。新しいライバルはもう力石より強い者たちだった。だが、ジョーのライバルはあくまで力石で、それは自分と戦いつづけることだった。ジョーはやがて、力石のようにボクシングで真っ白に燃え尽きることを望むようになる。幼馴染の乾物屋の娘はそんなジョーについていけずマンモス西と結婚する。財閥の娘は、ジョーからボクシングを引き離そうとするが、それも敵わない。最後にジョーは真っ白に燃え尽きる。
なんて羨ましい人生なんだと思った。かわい子ちゃん二人を振ってまで、打ち込むものがあるなんて。

わずかな希望は絶望よりもタチが悪い。

力石のように減量に苦しみ、自分より明らかに力が上の者との試合を控えて、丹下段平が言う。段平は試合に勝つことを希望と言ったが、それは違う。ジョーの希望は燃え尽きることだ。ジョーはどんな時でも、どんな境遇になっても、絶望はしなかった。よくジョーは死んだのか生きているのか議論になる。それは見当違いだ。そんなのはどちらでもいい。燃え尽きたこと。燃え尽きるまでやり切ったこと。それでいい。

作詞は寺山修司

カッコ良すぎる。

尺八と朝雄が渋すぎる。

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