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村田沙耶香「実験室の中で」

「新潮120」のエッセイ群は、「創作の小さな真実」というお題で、多くの作家さんが書いている。殆どの人が2ページで、中に守らない人もいるが、それでも3ページくらいだ。なのに村田さんのだけ、異様に長い。これは他で頼まれたエッセイが枚数を大幅に超過したので、テーマが似通っていた「新潮」に載せることになったという経緯らしい。
 内容は「地球星人」で性被害を書いたことの経緯とその後の思い、であった。
 読んで成程2ページでは無理だと思った。ここで村田さんは、自身の性被害とその時の心理状態を書いている。そのような心理を作った幼少期から、コンビニで働き出し、作家となり、「地球星人」を書き、それをデンマークで朗読した時までの気持ちが、赤裸々に綴ってある。
 私は氏の作品を「コンビニ人間」と「信仰」しか読んでない。「コンビニ人間」は、芥川賞を取った後もずっと評価が高い。私は、中にある女性性が、それが全面に出てくるテーマではないのに、なんとなく苦手で、その後追いかけて読まなかった。
 今回、エッセイを読んで、その感じがしたことに得心した。全然違うはずなのに、川上未映子さんの小説を読んだ時の、分からなさに似通っていると思った。「夏物語」を読んだ時も、これは傑作だと思ったが、自分の追いかける問題とは違うなあ、と思ったことだ。男である私には、深いところで、やはり分からなかった。
 今、村田さんのエッセイをよんで、その思いが蘇った。「地球星人」の感想で、好きとか嫌いとか、苦手とか男だしとか、眠たいこと言ってんじゃないよ! 読めよ。読みゃいいんだよ! みたいなのがあって、何が書いてあるのかも知らず、恐れ入って読めなかった。いい意味で気持ち悪い、という感想もあった。いい意味で!? なんだ。「夏物語」を読んだ時の、深いところでわからなかった自分が、「地球星人」を読んで、単に気持ち悪いとだけ読んでしまったらどうしよう。これも怖かった。文学的感性がないと宣告されそうで。
 それから私は今また、事実とフィクションのことを考える。小説を書くのに、村田さんは実験室を想定して、生身の村田さんと実験者の村田さんと、そこに入り込む異物についてで、説明しようと試みている。感覚的にはすごく分かる気もするが、そこまで自分というものを突き詰めたことのない私には、それがわかるなんておこがましいぞ、という気持ちもまたある。軽い人生しか歩んでこなかった私は、やはりどこかで人生を舐めている。
 今回はまた、特にだらだら書いた。何にしても、作家はここまで書かなくてはいけないのか、いけなくはないが書いてしまうものなのかと、空恐ろしくなった。

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