小説精読 少年の日の思い出7
ぼくは欲望に負けて、エーミールのクジャクヤママユを盗む。
この「盗み」という問題について。
「盗み」とは、他人の所有物を、断りもなく、秘密裡に奪うこと。勝手に自分の所有物にしてしまうこと。
法ができるずっと以前から、殺人と同じく、犯してはならない社会的なルールである。
では「所有」とは何か。いつでも、気の向くままに、どうとでもできること。ずっと秘密にして誰にも見せない。好きな時に眺める。壊したり捨てたり、或いは譲ったりできる。なんでも、自分の意思で自由に出来ること。所有とは、常にそうした意思決定の権利がもてていること。
「欲望」とは何か。端的に言えば、自分だけのものとしたい要求である。なぜ欲しいのか。人は必ずしも必要のないものを欲しがる時がある。なぜか。それは皆んなが欲しがるからである。多くの欲望の的であるものを自分だけ占有している。そうした優越感が欲望の根幹だったりする。
が、勿論、他者に関係なく、ただ自分が欲しいから欲しいという欲望もある。彼らは「初めての人」だ。そのものに欲望を持った最初の人だ。その欲望に感化され、その欲望を欲望する多くの人が現れた時、個別的な欲望は社会的な欲望となる。
自分の欲望は、個別的な個人的欲望なのか、皆が求める社会的な欲望か、見極める必要がある。社会的欲望は偽物なのだ。しかし、この世の中は社会的欲望を消費することで成り立っている。だから人は本当は欲しくもないようなものを、金を出して買う。そのことで経済が回る。ものに金の価値がつく。
その意味でエーミールは偽物だ。ぼくの欲望は本物だ。この物語は本物が偽物に負ける物語だ。つまり、ぼくの欲望が社会に飼い慣らされる物語だ。結末の哀しみは、だから、そういう意味を持つ。一人の芸術家の卵が社会に踏み潰される物語だ。
この物語の結末を当たり前だ、当然だ、と普通に思ってしまう人間がいる。結末をやりきれない、絶望的喪失と捉える人間がいる。人間には二通りの人間がいる。
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