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九帖「葵」角田光代訳源氏物語(🎵触るもの皆、傷つけた〜)

桐壺帝が譲位して朱雀帝が即位する。六条御息所は娘が伊勢神宮の斎宮となり、その準備に追われる。疎遠なのに、本妻の葵は懐妊している。

四月の賀茂神社の祭りは、弘徽殿の娘が斎宮になるとかで盛大に行われる。御禊(祭の前のみそぎの儀式)の日には、多くの上達部が付き従う。勿論源氏も。見物人も多数集まる。ここで事件が起こる。「車争い」である。

行列を見に来た葵上は、牛車を入れるスペースがないので、それと知りながら御息所の車を無理にどかせる。御息所の車は壊れ後方に押しやられる。前を通る行列の源氏の顔さえ見ることができない。

源氏はそのことを後で聞いて頭を抱える。

その後、葵の上は病に苦しむ。六条の御息所の生霊が取り憑いたのだ。生霊は葵の口を借りて「嘆き苦しむ魂を繋ぎ止めよ」と歌を読む。エクソシストばりのホラーなシーンである。源氏もゾッとする。そして、葵は皇子を産むが死んでまう。

源氏は御息所に「世に執着するのはおやめなさい」と文を送る。御息所は自分が生霊になって葵に取り憑いたことを悟り恥じる。

葵の実家左大臣邸にも宮中にも居場所をなくした源氏は二条院に戻ってきて、若紫の存在に心安らぐ。引き取って二年経つ。源氏はその夜、若紫と関係を持つ。紫はそのことに大変なショックを受ける。

ドラマチックな巻なので、粗筋も長くなってしまった。

結局、源氏はやったことの報いをうける。六条の御息所をほったらかしにしといて、手紙も出さず。そりゃ生霊にもなるって。
葵上をほったらかしにしといて、あっちこっち女漁って、そりゃ冷たくもされるって。
しかし、報いと言うたが、恨みは直接源氏には向かわない。御息所の恨みは葵上に向かう。「車争い」の一件があったので、読んでて不自然ではないけれど、本来、御息所の恨みは源氏に向かうべきである。なのにそうはならない。源氏に関係した女たちが、不幸になってゆくばかりだ。御息所もやがて娘について、伊勢に行くこととなる。

源氏はしかしこれを自分に降りかかった不幸と考える。サメザメ泣いたりする。葵の葬儀の真っ最中は、まさか他の女んとこへ忍ぶこともできない。で、帰り着いた二条院で紫と関係を持つ。端からそのつもりだとはいえ、本妻死んで、すぐにって。何もわからん源氏を父とも思うておる12の娘を。
今の感覚から言うと、全く理解不能。ここまでくると、なんか業のようなものを感じる。こうしてしか生きられない人間の業。男の業。
それから、やはり現代の感覚で読んではいけないと、思い始める。織田信長に人殺し!いうても仕方ないし。虚しいだけやし。光源氏に女漁りすな!いうても仕方ない。当時はそうやったんやから。むりにでも納得するしかない。そこにこだわっていたら、この先、読めないような気がする。
じゃ、現代に源氏物語を読む意味はどこにあるのか。うーむ、よくわからん。大江健三郎が、一週間だか十日だかひと月だか忘れたが、源氏物語をそれだけかかって読了し、読み終わった電車のなかで、世界が変わったと感じたとか言っておった。あの大江が。読むんだ、源氏。まあ、大江がカンドーするくらいだからなんかあるんだろう。
そうだ。これからは、源氏じゃなくて、女の方に焦点を当てて読んでみようか。

詳しく書かないが典侍がチラッと現れていい仕事する。笑かしてもろうた。この巻、唯一の救いであった。この婆さん、いいキャラやわあ。また出てきて欲しい。




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