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【短編小説】橋

 山田川にかかる木橋の側に立つ。欄干に付いている橋の名前のプレートを雑巾でゴシゴシ拭いた。
花容橋。
「なんて読むんじゃ」
「カヨウバシかの」
「ええ名前じゃ。初めて知った。どういう意味じゃろ」
「知らんわ」
幸子はそう言って写真を撮る。
春休みの宿題が、"町を調べよう"だった。
中学3年に上がると、クラス替えに伴って、教師集団の人員も変わる。2年で英語を教えていた先生が3年でも教えるかはわからない。学校内で人員が変わることもあれば転勤もある。辞める先生もいる。だから、学年跨ぎで教科の宿題は出しにくい。それで春休みは、ヘンテコな宿題が出る。
「お年寄りに昔話を聞いてもいい。町のハザードマップでもいい。神社やお寺の由来を調べても、今は歯抜けの商店街のお店を復元してもいい。逆に、イオン内部の地図でもいいよ。ただし手書きのこと。
誰かと一緒にやってもいいわよ。四月の新学年になったら、新しい担任に提出しなさい」
「えー! また杉本せんせがええ!」
「担任なんぞ、誰がやってもおんなじじゃって。ただ慣れちょるだけよ」
「えー! ちがうよぉ。隣の松下だけはかんべん。加齢臭キツいんよ」
はははと教室で笑いが起こる。それには取り合わず、杉本先生は続けた。
「聞きなさい。共同研究する人は、ちゃんと分担まで書くこと。文、誰の誰べえ。さし絵、誰べえ。写真、誰べえって。提出は代表の人がやること。いいわね。来年度の学習発表会で展示するからねえー!」
「えー。うっそぉ!」
てなわけで、2年最後の学活が済んで、帰りの支度をしていたら幸子が寄ってきた。
「なんか」
「お前、荷物が異常に多いの」
「ほっとけ」
学年が終わる時、教室は空っぽにしなければならない。普段教室に置いていっていいワークとか地図帳とか便覧とかの副教材に加えて、技術だの家庭科だの美術だのの作品が学年末に返ってくる。
普通の生徒は一週間かけて荷物を持ち帰る。計画性のないものは、最終日、わしのように苦しむことになる。
「それともなんか、持って帰るの手伝ってくれるんか」
「お前の荷物じゃろ、なんであたしが持たんといけん」
「ちょっと訊いてみただけじゃ」
よっこらせ、と立ち上がる。習字道具らや絵の具やら、丸めた画用紙やら、クッションやら本立てやら、笛やら副教材のパンパンに詰まった鞄やら体操服やらで、バランスがうまく取れない。
「転びなや」
「ほっとけ」
下駄箱まで幸子がついてくる。
「サッちゃん。頼みがある」
「誰がサッちゃんじゃ。馴れ馴れしい」
「木村さん。お願いじゃ」
「荷物は持たんぞ」
「下駄箱から靴を出してくれ。そんで脱いだ上履きを袋に入れて持たせてくれ。いっぺんかがんだら、立ち上がれる自信がない」
「全く、しょもない男じゃの」
いやいやながら幸子は靴を出してくれた。上履きを汚そうに摘んで袋に入れて渡してくれる。
「お前、上履き洗うたことないじゃろ。汚いにもほどがある。うんこの臭いじゃ」
「ああ、木村さんありがとな。男子は上履きなんぞ洗わんもんじゃ」
幸子は何にも言わず手を洗いに行った。

 帰り道、幸子が近づいてきた理由がわかった。
「あんな。今度、二丁目の橋が架け替えられる、て聞いておるか」
「ああ、なんか父ちゃんが、そねいなこと言いよったの。たんとボロいけえの」
幸子は思案顔である。
「今度大きな台風が来たら一発じゃろうな」
「確実じゃ。どうせ掛け替えるんなら、駅向こうの幹線道路に架かっとるみたいな、鉄筋のデッカいやつがええの」
「いや、そんなのは架かるまいて。こっちの橋向こうは畑ばっかりじゃし」
「そうか。まぁ、何にしても、キレイになるちうのはええことじゃ」
幸子はまだ思案顔である。もうすぐ幸子と別れる丁字路に着く。
「あんな、あたしの宿題、あの木橋を調べようちて思うちょるんよ」
「ほう」
「一緒に調べん?」
「わしとか?」
「そう」
顔が緩む。
「まあ、わしに異論はないけどよ。なんでわしなんか」
ちょっと期待した。まあ、ちょっと期待させる話ではあった。
「お前、カメラ持っちょろうが」
なんだ。
「親父のじゃがの」
「使うてええんじゃろ。お前、この前、バシバシ写しとったじゃない」
「まあの。漫画の資料になるかと思うてな。ならんかったの」
カメラ狙いか。ああ荷物が重たい。あ、そうじゃ。
「写真じゃのうて、わしが漫画書いちゃろうか。イラストじゃ。その方が味があってえかろう」
「あほ。お前に絵なぞ
頼むか。たいがい下手のくせに。何言うかと思うたら」
「何をぅ。お前、未来の漫画家様に。後悔しても知らんぞ」
丁字路に着いた。
「じゃ、後で電話するわ」
と幸子は駆けていく。とうとう荷物のひとつも持たなかった。いや、ここまでで結構くたびれた。この先、二丁目の端まで長い登り坂が続く。ため息を二つついて、荷物をしょい上げしょい上げ、一歩ずつ歩いた。

 飯を食って2時に橋の袂で待ち合わせた。勿論カメラも持って行った。
「記念に一枚撮っちゃろうか」
「気持ちの悪いことすな」
午後最初の会話はそれだった。
「カメラ貸してちょうだい。あたしが撮る。ちょっと橋の名前が見えん。これで拭いて」
と用意してきたらしい雑巾を渡される。
「カメラならわしの方が慣れちょるど」
「いや、あたしが撮りたいんじゃ」
「まぁ、そう言うんなら」
変なとこに拘るな、と思いながら欄干のプレートを拭く。

「花容橋ねえ。花なんかねえのにの」
橋から上流を見渡す。台風でえぐれた堤防がすっかりなおされ、コンクリートで覆われている。堤防のてっぺんが細い道になっていて、それがずっと上流まで続いていた。それだけのただ殺風景な景色に見えた。
「ここ、前、もみじが植わっちゃったの覚えとらん?」
幸子が言った。
「そうじゃったっけ」
「赤うなってキレイじゃった。覚えとらんな」
そういえば。思い出した。もみじがあったな。一本。随分大きかった。台風で倒れたんだった。
「七五三の時、上の神社でお祓いしてもろうて、ここで写真とったわ」
「家族でか」
「母ちゃんとじゃ」
余計なことを言った。
「当たり前じゃろ。家族みんなで並んだら、誰がシャッター押すんじゃ」
「あ、そうじゃの」
とやり過ごそうとしたら、幸子の方が続けた。
「ええよ。気にせんでも。母ちゃんおらんのは、もう当たり前じゃから」
「神社では撮らんかったんか」ちょっと話をずらしてみる。
「神社でも撮った。人に頼んで四人並んで撮ってもろうた。したら、帰り道、この橋の袂の紅葉がキレイでの、一枚撮ろうちて父ちゃんが言うて」
「兄ちゃんは?」
「なんか面倒くさがって、父ちゃんの隣におったの」
「ふうん」
それ以上相槌の打ちようがなかった。
「母ちゃんは、それからすぐに出て行った。知っちょろう」
「え、まぁ、な」
幸子の母親がいなくなったのは、知っている。誰から聞いたのかは、もう思い出せないくらいに当たり前のこととして知っている。事件性はないそうだ。男と逃げたと言う人もいる。しかし、いったい誰がそんな事情まで知っているというのか。どうしていい加減に喋り散らすのだろうか。
「じゃから、その写真があたしと母ちゃんの最後の写真なんよ」
「ふうん」
「この橋が最後の思い出じゃから」
幸子は古ぼけた橋を見ていた。
「ほうか。じゃ、壊されるんなら撮っちょかんにゃいけんの。やっぱ、わしが撮っちゃる。ここへ立て」
と言って欄干のそばに幸子を立たせる。
「じゃ、撮るど」
「撮った写真はみな渡せよ。抜くんじゃねえぞ」
ファインダー越しの幸子は可愛かった。そして、ちょっと涙が溜まっているようにも見えた。

「しかし、なんで花容橋ちうんじゃろう」
首を捻って呟くと、
「それを調べんのが宿題じゃろう」
と幸子がごもっともなことを言う。
「どうやって調べるんか」
「さぁの。図書館行って訊いてみるか」
まあ、それしかないように思った。名前がついているんだから、なにか由来がありそうだ。それこそ、前は桜が植えてあったとか。町の図書館に行けば、そういう川の歴史みたいな本もあるかもしれない。

図書館に来て、まず「花容」を調べた。やはり読みは「カヨウ」であっている。
「なにニヤニヤしちょるんか」幸子が言う。
「いやの、花容の意味が、花のように美しい容姿じゃて」
「それがどうかしたか」
「いや、さっきの写真。サッちゃんが花容橋のプレートの横に立っちゃるじゃない。いや、笑かすなちて思うたら」
「なにが可笑しい」
「いや、まるで自分が美しい容」
まで、言ったところで、グーパンで頭を殴られた。
思わず、あたた、と声がでる。
「図書館やぞ。静かにせえ」
言って幸子がカウンターに向かう。慌てて国語辞典を棚に戻して後を追う。しかし、女子がグーパンて。
「あの、山田川に架かってる橋の名前について調べたいんですけど。棚を見たんですけど、よくわからなくて」
カウンターの女の人は、愛想良く頷いて、ちょっと待ってね、と奥のドアに入っていく。
「山本。さっきもサッちゃん言うたろう」
バレたか。
「今度言うたら、食らわすぞ」
て、もう食らわされてますけど。
女の人は、三冊の本を持って戻ってきた。それを抱えて机に向かう。

 少し調べて、「花容橋」の由来はすぐにわかった。「花容」は後からの当て字で、元は「カヨ」。女の子の名前だ。
 江戸時代。山田川は何度も氾濫して、水が堤防を超えた。その度に堤防を築き直して、その度に村は貧しくなった。
 何度目かの改修の後、誰言うともなく「人柱」をたてねば氾濫は治るまいという話になった。それだけ村人は何かに縋りたかった。
 村にカヨという娘がいた。年は16で美しい娘だった。やがて誰言うともなく、カヨが適任だという話になった。
 もとより無論カヨの父親は、そんな話を受け入れるはずもない。しかし、噂というのはおかしなもので、カヨが適任だという話はいつの間にやら村中に広まっていった。
 ある年、いつにも増して、大嵐が来た。誰もが必死で堤防を守った。口には出さないが、誰もがカヨのことを思っていた。
 ひどい大風になって川の水嵩がいっそう増した時、カヨは川に身を投げた。
やがて、大嵐はおさまった。父親は泣いた。それから、堤防のことを「カヨヅツミ」、「カヨウヅツミ」と言うようになり、明治になって橋が渡されたとき、字を当てて「花容橋」となった。

「なにが花容じゃ。なんかひどい話じゃのう」
素直に感想を言った。図書館からの帰り道、幸子は何か考えるふうだった。ずっと黙っていた。あの、陽気な幸子はそこにいなかった。なんとなく、このまま帰してはいけないような気がしていた。
「ちょっと喉乾いたわ。ポカリスエットちて飲んだことある? 飲んでみん。ここで待っちょってな」
公園のベンチに幸子を置いて、ポカリスエットを買いに走った。自販機の前で、ポカリスエットは寒いか、と思い返し、暖かい缶コーヒーを買って戻った。
「ポカリ売り切れじゃった。ほれ」
と缶コーヒーを渡す。幸子は飲まずに両手で転がしていた。
「あんな。さっき、お母ちゃんの話したろう」
突然に幸子は口を開いた。
「うん」
「母ちゃん、うちにおった店員さんと逃げたんじゃ」
驚いた。そんな話、なぜわしにする。受け止めきれん。が、構わず幸子は話し続ける。
「こんな話して、すまんの。嫌じゃったら言うて。やめるけえ」
「ええど。わしでええんなら聞いちゃる」
裏腹な言葉が出る。
「女は喋るとすぐに人に言うからの」
「男もおんなじじゃ」
はは、と幸子が笑う。
「山本。お前、あたしに惚れとろう」
いきなりか。いきなり言うか。ここは考えどころだ。
「ああ、惚れちょる」
考える前に言葉がでた。
「なら、秘密は守ろう」
「おお、守る」
「誰かに聞いてほしいんじゃ」
「お、おう」
幸子は話し始めた。

 お母ちゃんのことな、さっきおらんで当たり前ちうたが、ありゃ嘘じゃ。強がりじゃ。
むしろ、なんでおらんようになったんか、最近、ずっと考えるようになっちょる。
それまでは、お母ちゃんに怒って仕舞いじゃった。なんで、お父ちゃんもお兄ちゃんもあたしも捨てて出て行ったんか、馬鹿野郎、て。
理解不能の色ボケが。若い男がそんなにええんか。信じられん、て。
怒って、それで判断停止じゃ。それでしまいじゃ。それ以上考えんし、それでええと思うとった。
それがの。去年の暮にの、お父ちゃんが話がある言うてな。
お母ちゃんが出て行ったのは俺のせいじゃ、て言うたんじゃ。

あたし思うんじゃが、カヨな、川に飛び込んだカヨ。あれ、なんで飛び込んだちて思う? 多分わかっとったんじゃろう。多分じゃないな。絶対にわかっとったよの。村人全員が自分に人柱になってほしいって思うちょることを。
誰も口には出さんかもしれん。正面切って頼むやつもおらんかったとも思う。でもカヨは知っとったんよ。みんながそう思うちょることを。
そんな中で生きるのは、さぞ大変じゃったと思う。でもカヨはなんとか生きられた。どうしてじゃと思う?
あたしが思うにな、お父ちゃんよ。お父ちゃんが守ってくれたからよ。お父ちゃんが守ってくれるから、カヨは生きてこられた。
じゃあなんで、じゃあなんで、カヨは川に飛び込んたんか。
これはの、あたしの想像じゃが、カヨは大嵐ん時、堤を見に行った。村の男たちが必死で堤を守るのを見てしもうた。多分カヨはお父ちゃんを探したろう。大丈夫かって、心配したろう。
それで、お父ちゃんを見つけてしまうんよ。お父ちゃんの顔を見て、カヨはわかったんじゃと思う。
お父ちゃんの顔はの、きっとの、こう言うちゃったんじゃ。

カヨ、飛んでくれ。

そりゃ、違うかも知らん。あたしの想像じゃ。でも、あたしは、さっきの資料読んでての、そう思うた。

母ちゃんは、店員さんとデキとるいうて噂になっとたんよ。なんぼ否定しとうても、そういう連中は面と向かっては言いはせん。ただ影で、面白おかしゅう噂するんじゃ。あたしが思うに、店員さんにその気はあったと思う。じゃなきゃ、噂にはならんじゃろう。でも、お母さんは、たぶん、その気はなかったと思う。何にもなかったと思う。思いたい。
そんでな、お母さんはお父さんに相談したんじゃ。
噂を知っておいでか。ちゅうて。

お父さんは、去年の暮な。お前にも言うときたい。いうて、そのことを、話を始めたんじゃ。お前も来年は中三で、そろそろ自分の人生も考える年頃じゃ。お母さんのことも、いろいろ耳に入っとるじゃろう。家から高校に行きたいんなら、それもええ。家を出て働きたいんなら、それもええ。この一年、ようよう考えて決めりゃええ。ただの、そこにお母さんのことが、引っ掛かっておるんなら、そこはちゃんと正したい。俺が言うて、家を出たいんなら、それでもええと思うちょる。それも含めてよう考えれ。
お母さんはの、もう耳にしたこともあるかと思うが、うちの店員と家を出た。
噂はあった。ご丁寧にも、気をつけえちゅうて言うもんもあった。
七五三の日の夜じゃった。俺は酔うてしもうて、お母さんに言うてしもうたんじゃ。

若いんが、ええならとっとと出て行け。

ちうてな。なんでそんなこと言うてしもうたのかわからん。酔った勢いで、馬鹿なことを言うた。あれが、そんな女じゃないのを一番よう知っとるはずなのにじゃ。
お母さんは、真っ青な顔をして俺を見とった。すぐに、すぐに俺は言ったことを悔いたが、なにも口にできなんだ。
お母ちゃんが、出て行ってしもうたのは、それから三日たってからじゃった。

幸子は、みんな言ってしまってから、缶コーヒーを開けて、ひと口飲んだ。
「まぁ、そういうことじゃって。聞いてもろうて、ありがとな」
「いや」
「じゃからちゅうて、あたしがお父ちゃんを嫌いになったかいうたら、不思議じゃろ、それはないんよ」
「うん」
「その話を聞いて、お母ちゃんのことを、考え直したかいうと、それもないんよ。いったいなんじゃろね、あたしって」
「うん」
「うんばっか言わんと、なんか言えよ、山本!」
幸子は毒づいた。たぶんずっと我慢してたんだろう。誰かに何かをぶつけたかったのだろう。
「サッちゃんな」
サッちゃんと言って、幸子は怒らなかった。
「サッちゃんな。あのな。俺は思うにな、起きちゃったことは、もうしょうがない」
幸子は黙っている。
「いくら悔いても嘆いても、お前の母ちゃんは、戻っちゃあ来ん。そうじゃろう」
頷く幸子。
「考えても詮ないことは、考えんことじゃ。先のこと考えい。お前は、家から高校通えばええと思うぞ。お父ちゃんもお母ちゃんも、無理に嫌いにならんでええと思うぞ。お前が俺に惚れちょるなら、それでええんじゃないかと思うぞ」
「惚れちょらん!」
ええっ!
「誰が惚れるか、漫画馬鹿!」
ええっ!
「じゃが、今日はお礼言うとこう。ありがとう」
「ええって。いや、それより、惚れとらんとか、なんで? なんで俺だけ言わすんか?」
「じゃ、写真現像できたら電話してな。ほな、さいなら」
幸子は風のように、走っていった。

           了

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