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十一帖「花散里」角田光代訳源氏物語(和歌こそ源氏物語の肝である)

そうと分かってみると、「花散里」も趣き深い。

源氏は院に先立たれ、多くの女性たちとの別れがあり、政争にも敗れつつある。出家に気持ちは傾くが、それもできない。ふと、桐壺院の妃の一人である麗景殿女御を思い出す。子はなく、今は妹(花散里)とひっそりと暮らしている。その妹と、かつて源氏は逢瀬を交わしたことがある。
はい。もう全く驚きません。縁のある方なので今も源氏が援助はしていたが、とんとご無沙汰である。
そこで、五月雨の晴れ間、源氏は女御を訪ねることにする。

途中で、小さな屋敷を見つける。琴の音がよい音色で聞こえてくる。
はて、この邸にも、かつて通ったような気が・・・
もう多すぎてわかんなくなっちゃってるんでしょうね。
で、惟光に歌を持たせる。
(尚、歌に出てくる「郭公」の読みは「ほととぎす」、平安時代に「かっこー」の読みはない。)

をちかへり えぞ忍ばれぬ 郭公ほのかたらひし 宿の垣根に
(昔通った宿で郭公が鳴いてんなあ)

返し
郭公 こととふ声は それなれど あなおぼつかな 五月雨の空
(郭公は鳴いていますが、あんた誰?)

私のことが、分かっているのに、そう出ますか。では、訪ねますまい。さようなら。
と、源氏は去る。
ちょっと女は拗ねてみたかったんでしょうな。その方が気がきいているとでも思ったんでしょう。紀貫之の「人はいさ〜」の歌みたいに。でも、源氏はそれには乗らず、まんまの意味を敢えて取った訳です。きっと可愛くないなあ、て思ったんでしょうな。
なるほど、男女の機微は難しい。

で、源氏は麗景殿女御んとこに行く。んで、歌を詠む。

橘の 香をなつかしみ 郭公 花散里を たづねてぞとふ
(橘の香りがなつかしいので、郭公がここにきたんですね)

さっきの郭公を使って、うまいもんですな。ホトトギスは、ホトんどトキ(時)がス(過)ぎた、と読んで、昔を偲ぶことと掛けられたようですね。そして橘と郭公は花札の梅に鶯みたいなもんで、定番の取り合わせみたいです。

女御の返しは、

人目なく 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまとなりけれ
(荒れ果てた家で咲く橘があなたを招くすべとなりました)

嬉しかったんだでしょうな。もう忘れられてると思ってたら、源氏がきてくれた。ああ、橘、植えといてよかった。はい、素直な気持ちを読むのが一番。
ひとしきり昔話して、女御が言います。
ささ、妹(花散里)んとこ、早う行って。こんな婆さん相手にしとらんと。若いもんは若いもん同士でって。ささ。はよ行って。
で、二人は再会致します。
源氏25、花散里23。
よかったですね。

なるほど、和歌を丁寧に読めば、情感、伝わってくる!

ということで、弘徽殿女御の反撃を前に、小休止といった雅な巻でした。

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