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創作とほほ日記6

自分で書いてるのに、なぜリアルを踏み外すのか。言い換えれば、登場人物の制御が効かなくなるのか。
小説を書いていくうち、登場人物たちが勝手に動き出すことがあります。これは小説書いたことある人なら、ウンウンしていただけることと思いますが、あれは何故起こるのでしょう。
作者の構想を飛び越えて、主人公があらぬことを叫んだり、勝手にどっか行っちゃったり、喧嘩したり、泣き出したり、妙に反省したり、もの壊したりetc。
作者が登場人物に引き摺り回されるってやつです。深夜に書いてると、よく起こります。が、書いてるときはわからない。翌朝、冷静になって読み返して心底絶望するのです。誠に夜は恐ろしい。ドラキュラだって起きてきますし、墓場で運動会だって開かれますもの。とても人間が制御できるような代物では、ありません。小説は昼間書きましょう。まぁ、夜書いても12時までにはやめましょう。(自分に言っているのです)

さて、登場人物の暴走に気づいた朝、私はどうするのか。読んで赤面した後、深く反省します。やがて、反省は怒りになって、んが!とばかりに、怒りに任せて昨夜書いたくだりを全部削除しちまいます。どうだ、まいったか、ザマアミロとばかりに、消してやります。消しますとも。なんなら、消さなくていいところまでとことん消してやります! ゴミ箱の中も徹底的に削除して、それで、後、さめざめと反省するのです。あそこは消すんじゃなかった、と。今、ここ。


話戻します。登場人物がなぜ暴走するかというと、私考えるに、登場人物がお話の中で生きはじめたからだと思うんです。
この登場人物のしそうなこと。言いそうなこと。それを考えて物語を作っていくと、物語的には右行きたいのに、登場人物が、「んなことねえだろ、左だろ。おいら、左いくぜ」とばかりに勝手に左に行っちまう。もう、あとの構想メチャクチャですな。でも、本当に登場人物が左に行くのが自然でリアルなら、彼がそう思ってるんなら、左に行くのがやっぱり正解なんです。私の中ではそうです。だから、そうなって、後の筋運びが違ってきても、それは構わないんです。どちらか言うと嬉しい苦労です。苦労しても楽しい。

じゃ、恥ずかしくなって削除しまくる事態は、どうしておこるのか。
それは、私の中にーー。
「ふふふ、こうすれば面白くなるぜ」
て、スケベ心が生まれた時です。もう登場人物は生きて、自分なりの価値観や美学を持っているのに、そこを捻じ曲げて、こうした方が面白いんじゃね、と書いちゃったときです。こんなこと言っちゃう方がドラマじゃね。こゆことさせた方がいいんでねって。
いや、その時はそれが面白いと思うんです。で、どんどん書いてくと、やがて、登場人物が死ぬんです。彼や彼女の言うことが、全くリアルでなくなるんです。すると、小説全部が死ぬんです。恐ろしい。ああ、恐ろしい。
私は幾度も小説を死なせてしまいました。二度と日の目を見ることのない小説の屍が、私のワープロに山ほど眠っています。嘘つきました。いくつか眠っています。

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