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一帖「桐壺」角田光代訳源氏物語(イジメとウン◯)

いじめの話である。いじめの小説で素晴らしいのは、川上未映子の「ヘヴン」である。これは殆どニーチェであった。恐らくキリスト教の教義やルサンチマンの思想を小説化できた唯一の小説である。この小説は「為に書かれた小説」ではない。思想より小説が上に来る。素晴らしい。海外でも評価されるはずである。
勿論「桐壺」に思想はない。ただ、帝に愛された桐壺が憎くて、他の女御更衣がいじめるのである。小学生と変わりない。
いじめ方も小学生並である。無視する。閉じ込める。衣を汚す。特に最後の虐め方はエグい。桐壺が帝の元に渡る時、廊下に汚物を撒くのである。汚物とは、ウンコである。と高校の先生が嬉々として教えてくれた。
小中学生のいじめする場所はだいたいトイレが多い。盗まれた教科書や上履きは、たいがい便器に突っ込まれる。
大人になって、中学時代に同じ虐めにあった女の子と出あった。それは大変だったね、と同情したが、彼女は「なんの。教科書、上履き、全部新品にしてもらった」と負けてなかった。「直接やられなかった?」て訊いたら、「したら、顔面グーパンでコテンコテンよ!」と威勢が良かった。可愛い顔をしていたが、近寄るのはやめようと思った。
勿論、桐壺はグーパンはしない。耐えるだけである。虐められて、病んで死んでしまう。今の感覚で読むと、帝が情けない。んなもん、お前の力で桐壺守ったれよ!と、多分誰でも思う。が、彼は何もしない。桐壺を自分の近くに部屋替えしただけである。しかも、それで益々桐壺は憎まれる。
桐壺は死んでしまうが、その前に子を産む。それが光源氏である。帝にはもう腹違いの長男がいたので、次期東宮で揉めないように、帝は桐壺の子を臣籍降下したのである。ここでも、帝!守ったれよ!と思ってしまう。
兎に角、帝に力がない。リーダーシップがない。トランプの爪の垢でも飲めばいいのに。(これは言葉のあやで、私は別にトランプ支持者ではない)。
紫式部は、藤原摂関政治の犠牲となったお飾り天皇を風刺して書いたのかもしれない。しれないが、でも情けない。どうか源氏は、女性を守れるガッツある男として育ってほしいものである。

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