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よしもとばなな「だまされすくわれ」

内田百閒ばりの怪談噺かと思った。「件」みたいな。由緒正しい怪異譚の感じがした。感じはしたが、道に迷っている私の物言いが現代的でぶち壊しである。というか、作者は恐らく、そうした由緒正しい怪異譚にせぬように、巧妙な仕掛けとして、「私」の物言いを現代風にする。外しにかかってるな、と思う。

よしもとばななは才人である。「キッチン」「TUGUMI」「白河夜船」、初期の作品は瑞々しい感性に支えられた新しい少女像を見せてくれた。綿谷りさが出るまで、それは常に新しかった。そのうち、ばななはオカルトに行った、と話す輩が現れた。あちゃー、そっち行っちゃったか、とか思って読みもせず敬遠するようになった。愚かであった。なんでもイタリアでウケてるらしいぞ、て言う輩もいた。

でも、小林秀雄だってオカルト好きだ。人間の精神性を考えるなら、誰だってオカルト好きになる。お化けだって幽霊だってUFOだってやまとごころだって、もののあはれだって海上の道だってあると思う人にはあるし、ないと思う人にはない。じゃ、どちらが人として豊かなのか、ことに作家はどちらを選べばいいか答えは出ている。

俺は理系だから、オカルトは取らない、という人がいるかも知れない。そういう人は、湯川秀樹の「知魚楽」を読むといい。見えないものを信ずる力がなければ、一流の学者にはなれない。

ばななの小説に戻る。「私」は怪異を信じる。救われたんだから、もうなんだっていい。話はここで終わってもよかった。種明かしは余計である。でも、そこまで書いちゃうのが、ばななさんなのだと思った。

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