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公共性と事業性との狭間で|若年性認知症を抱える方への支援プロジェクトの立ち上げ

これまでもたびたびこのnoteの中でも紹介してきたように、ゼミでは学生に対して「ビジネスは社会課題の解決のためにある」と言っている。その意味は「困っている人を救いながら、自らの生活も成り立たせることができるのがビジネス。公共性が高いものであっても、タダはない。その上でどうすれば支援が届くのかを考えよう」ということ。

私から言えば至極当たり前なのだが、公共性を強調し過ぎる人も、事業性を強調し過ぎる人もいるわけで、そのバランスをどう成り立たせるか。そもそも誰かの負担の上に成り立っている社会構造がおかしなわけで、いかにすれば生きている人の尊厳を守りつつ、生きやすい社会を構築していくか。それを考え、実践していきたい。

ゼミの歴史を紐解けば、すでに7-8年前からLGBTQについてゲストをお招きして講演をお願いしてきたし、プロジェクトではペットの殺処分問題や子ども食堂に関連したものが立ち上がったこともあった。特に子ども食堂についてはそれそのものを直接できた訳ではないが、福岡でも著名な書店と協力して「絵本の読み聞かせ+親子でのパン製作」というイベントができた。その後もお子さんから「本屋さん行きたい」という声があったそうだから、一定の成果を収めていると言っても良いのかもしれない。

そして、2021年度は福岡の産婦人科医(と彼が社長であるスタートアップInazma)と連携して、女子高生の生理を初めとする性教育プロジェクトを立ち上げた。学生も高校生への調査を進めたし、学年ごと(年齢)に応じた教育プログラムを作るなど一定の成果を収めた。まだやりたいことはあるんだけど、そこはあと一歩。

そうこうして、また新たなプロジェクトが今年度から立ち上がる。それが若年性認知症を抱えておられる方々への支援プロジェクトだ。

こうして振り返ると、社会課題をビジネスで解決する取り組みをずっとやってきたのだ。難しい課題だから何もアクションしないのではなく、少し遠いけど自分たちにも重要な課題に取り組もうと意欲的な学生がそこにいる。教員としてこんなに嬉しいことはないのだ。

プロジェクト開始のきっかけ

2021年末、当時夜間部の会計ゼミに所属していた4年生から連絡があった。「若年性認知症の方を支援するプログラムをしたいのだけれども、どう進めていけばよいかわからないのでヒントが欲しい」(意訳)と。当初聞いた時には私も「?」だったわけだが、上記のような経緯もあったし、常々公共性の高い取り組みをいかに持続可能にするかは関心があったのでお話をお伺いすることにした。

認知症という症状についてはよく聞くし、私の祖母もそうであったから関心があった。が、それが「若年性」となると、問題の幅も大きくなる。40-50代の働き盛りで発症すれば、瞬く間に仕事がなくなり、本人の意思に関わりなく不本意ながら退職することにもなり、軽作業で限られた賃労働しかできなくなる。1つの病気で生活が一変してしまうことになる。よって、認知症は本人だけでなく、家族の生活のあり方を変えてしまう大きな問題でもある。

しかし、認知症であることを認めることができない。誰が。自分がである。「最近物忘れがひどいな」と自分の心の中で押し留めてしまう。周りが気づいた頃には症状が悪化し、選択肢はホームに入る、介護が必要な状況になってしまう。そういうことだから、実際にどこにどれだけの人がいるのかがわからない。0.05%の発症率(福岡市160万人のうち700-800人ほど)だとは言え、実際に困っている人がいるのだから、なんとかして社会で支えていく仕組みは必要だ。

そこで認知症の症状が出始めた初期の人に対するサポートをしていきたいというのが今回のご相談内容であった。具体的には不安や困りごとを気軽に打ち明けられる場所を作りたい、そのためにちょっとした交流ができる場作りをしたいとのことだった。

若年性認知症がいかなるものかはこちらをご覧ください。
https://www.mhlw.go.jp/content/000521132.pdf

しかし、私も「それはとても重要なことだけれども、支援している側が疲弊する仕組みにしてはいけませんよね。しかも当事者が働くことを通じて自己の尊厳を忘れないで欲しいし、それでお金を少しでも稼いで生活が楽にできるならなお良いかもしれないですね」と素人意見を述べさせてもらうと、同意をして頂けた。

であるならば、一旦やれることをやってみましょう、そこで出た課題を突き詰めていくことで見えてくることがあるでしょうとご提案するとともに、この2-3ヶ月で分かったことを教えてくださいとお伝えして解散した。

ツクタベに初参加

その後、2022年に入り新型コロナウィルスが蔓延してしまったために、活動がどのようになっているかも知ることができなかった。ようやくまん防が明ける兆しが見えた2月末になり、「3月にイベント開催をするので来られませんか」というお誘いを頂くことになった。

それまでにプロジェクト内容に興味を持つ学生に声かけをして、プロジェクトメンバーが3名集まった。この日は参加できる2名と私の家族を連れての参加。

かわいらしいロゴまでできて本格的

会場は福岡市の公共施設。イベントにはツクタベという名前が付けられていた。堅苦しいこと抜きで「つくって たべて はなす会」ということでツクタベという名前にしたそうだ。この日は他のイベントと重なったために人数が少なかったが、認知症で支援施設に入られている方も含めて10数名でキーマカレーとパンケーキを作ることになった。私は諸般の事情で遅れての参加だったが、着いた頃にはワイワイとしながら野菜を細かく切り刻んでいた。

完成したキーマカレー
同行した学生とパンケーキにかけるソースを作る娘氏

作っている最中、どなたが患者さんなのかを伺ってはいたが、若年性=軽度だと思っていたこともあって、一見してはわからない。同じように作業をしていて、手は動いている。ただ、記憶が無くなるので、少し前のことも覚えていなかったりもする。周りのサポートを受けながら、1時間半ほどで調理は終了し、試食会になった。そこでも、ワイワイしながら美味しく食事を頂き、会は一旦お開きになった。

ふりかえりミーティング

その後のふりかえりミーティングは白熱。当日の内容は言うまでもなく、この取り組みをいかに持続可能にしていくのか、どこで続けるのか、何ができていて、何ができていないのか、さまざまな視点から議論をすることができた。当事者の皆さんがどのようなことをお考えなのかもよく分かった一方で、問題の本質である「本当に困っている人はどこにいるのか。どこにどうアクセスすれば良いのか」についてはまだ見えていないことも明らかになった。

が、話は尽きない。具体的な方策が見えてこない中で時間は残されているようで残されていない。急ピッチで事業を構築していくべく、オンラインミーティングを実施することにして、この日は解散した。

オンラインミーティングからの現地訪問へ

数日後、ツクタベでの議論を続けるためにオンラインでのミーティングを行った。

ツクタベの皆さんとゼミ生とのミーティング

ここでそれまで知らなった新しい言葉に出会うことになった。

社会的処方

という言葉である。社会的処方とは「薬を処方することで、患者さんの問題を解決するのではなく『地域とのつながり』を処方することで、問題を解決するというもの」であり、病気に対して直接的なアプローチを施すだけでなく、病を患うことで社会や周囲から隔絶されてしまうことを防ぐために関わりを作ることで精神的、社会的な問題を解決していこうという考え方。

この言葉を聞いてAmazonで本を購入し、ざっと読むことにした。

ここではイギリスにおける取り組みで美術に触れる機会を作ること、そこでサポートする側が考えていることが書かれていたり、日本における「暮らしの保健室」という民間ベースの相談窓口と交流拠点を作っていく取り組みであったり、地域課題を「課題の塊」と考えるのではなく、「解決手段の溢れたエリア」と捉えることで住民参画の機会を作ろうとしたり、交流拠点と医療機関をつなぐリンクワーカーとして持つべきスキル(聴く、経験を宝にする、笑わせる、つなげる)について記述されていたりと、知らなかった世界のことが書かれていた。

全国各地に認知症患者だけに限らず、病や症状のために社会と隔絶して生きていかざるを得ない人たちがいること、その人たちをサポートしようとしている人が多くいること。しかし、興味関心のアンテナを立てなければ、そこには問題が存在していないことと同じだということを改めて認識することになった。私たちは本当に無知過ぎる。

そういう学びを得たところで、昨日にとある施設を訪問した。認知症患者が入るケア施設だ。

福岡市内にある施設

ここでは2人の方にお話を伺った。お1人はツクタベに参加された女性、もう1人は60歳過ぎて発症して入居して2年が経過する女性。

詳細を書くことを差し控えるが、何とも表現しづらい時間だった。会話のラリーは続くが噛み合わない。こちらの質問に一生懸命答えようとされるのだけれども、時間や順序となると混乱するよう。昔の記憶はある程度あって、昼食準備で盛り付けをするとなるとテキパキとこなす。が、ちょっと買い物に行ったり、予定を組んで作業をするとなると、混乱して所在がわからなくなることもある。

ツクタベに参加した彼女たちを覚えているのかと言えばきっと覚えていない。なにせその時に作ったカレーを覚えていないのだから。

お年を召して身体の機能が衰えているからケアホームに入っているのとは違う。身体は動く、自分はできると思っているのに、結果が伴わない。いつかは出れると思っているけど、どこかで出られないと思っているのだろう。

本人の望まぬ拘束(あえてこのような言い方をしてます)と戸惑い

話をしてみる中で、いたたまれない気持ちになった。だからこそ、どうにかしたい。その1つの糸口が社会的処方にあるということは理解できた時間だった。

わたしたちにできることはなにか

帰りの車中で学生とふりかえり。

彼女たちもそれなりの衝撃を受けたのだろうけど、現実を見つめようとしていたように感じた。互いに見て思ったことを言葉にして、そこから今は見えていない潜在的な「顧客」がどこにいるのか、どうアプローチできるか、そもそもどういう場にできるのかを考えてくることにした。

私も今日になっていくつかのアイデアを考えてみたものの、こういう事柄に関する記事はそうそう簡単には書けないし、そもそも編集方針と一致するのかという問題もある。かつてのWeLQ問題も頭を過ぎる。

が、勇気をもらえたのは、「目に見える顧客に決まったことを提供するのではなくて、まだ見えていない新しい価値を提供することに意味があるということは(いろいろなプロジェクトやイベントに参加して)理解できました。だからこそチャレンジして新しい価値を創出したい」(意訳)と学生が言ってくれていることだ。

『社会的処方』と同時並行的に保育園の制度問題に取り組む社会企業「フローレンス」の駒崎弘樹さんの新著も読んでいた。こちらは絶賛子育て中の私にとっても身につまされる話で、いかにして彼や彼の仲間たちは子育てしにくいさまざまな制約を打ち破ってきたのかを振り返った本だ。彼のように制度を変えていく人を『政策起業家』と呼ぶそうだ。

なぜ商学部でそんなことに取り組まなきゃいけないのかという人もいるでしょう。

いや、商学部だから取り組む意味があるのだと。実際に現場に触れ、いくつかのテキストや資料を読むことでそれが再確認できた時間になりました。誰が聞いても意味があることはわかる。けど、人にはそれぞれなされるべきことがあるから、距離を置かざるを得ない。が、そうしたことに一生懸命取り組む人を支えていきたい、そういう仕組みを自立的に運営したいという人がいることが嬉しい。

別に格好つけたいとか、何かに託けて頑張るではないのです。そうやって人に求められて自分の知見を少しでも活かして、足りないことは学び、周囲の協力を得ながら少しでもより良い社会を構築したい

意識高い系だのなんだの陰口叩く方もおられるようですがそれで上等。それこそアントレプレナーシップそのものなのです。こうして頑張ろうとしている人を支えて、経済的に自立して、同じように生活できる環境を整えるにはどうすれば良いか。ビジネスは企業という公器が行っているのだと教えるのであれば、こういう試行錯誤を行うことにはとても意味があることだと思うのです。

ポーズじゃない。本気でやってまんねん。はい。

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