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「良い学校を創りたい」私には学校で何ができるのか?:女子商の生徒会活動に参加して

久しぶりの投稿です。みなさん,お元気にされていますか?(って,このnoteの読者はほとんどいないので,私の独り言ですが)

昨日(4/23),那珂川市の山間部への入り口にある古民家体験施設「結」という施設に行ってきました。

そこにはこんなブランコがあったりと,娘氏も十分に満喫しておりました。

ブランコにはまだ上手に乗り切れない娘氏。

その目的は,かねてからご縁を頂いている福岡女子商業高校の生徒会合宿において高校生の壁打ち相手になることと,その結果としてどんな学校にしていきたいのかというプレゼンテーションを拝聴するため。そこには緩やかな時間が流れていましたが,高校生たちは必死になって考えをまとめようと頑張っていました。そこで感じたことを記録しておきます。

disる対象から応援する対象へ

私が相談を受けたのはホームルーム委員会の委員長の女子生徒。女子商の名を全国に轟かせたキカクブのメンバーでもあるし,ゼミで行っている活動の1つである高大連携アントレプレナーシップ教育プログラム『スプラウト』の受講生でもある。

彼女から相談を受けたのは次のような内容だった。

「機会がたくさんある学校で,周りから何を言われても頑張りたいと思って頑張って,同調圧力から抜き出た生徒は勝手に何かやる。一方で,なんで頑張らなきゃいけないの,そんなの面倒くさいと思っている生徒を引き上げるのは大変。本当に救ってあげなければいけないのは,頑張りたいと思っているけど,周りも気になるし,自己肯定感がない生徒をどうやって掬い上げるかなんですが,いいアイデアないですか?」

ある女子高生からの相談

こういう話はどこでもあること。私は学生に迷惑かけてばかりで申し訳なく思う。本当にみんな頑張ってるのにね。

が、そんなことにクヨクヨしていても仕方ない。自分にできることに集中するしかない。自分でコントロールできないことに時間や労力を割いても何も生まれない。まず、できることに注力する。

限られた時間でアイデアを練り,プレゼンを作る高校生たち

こういう話は組織マネジメントの問題でもあって,こうした問題に逃げずに向き合って,どうにかしたいと思うのは「生徒会」という組織に所属し,少しでも学校を良くしたいという意識の表れなんだろう。私からはいくつかの話をしたが,端的に言えば次のような意見をした。

まず,グループを分ける。頑張っている人,頑張ろうとしているけど一歩踏み出せない人,(今は)頑張れない,頑張りたくないと言っている人の3つに。そして,「頑張ろうとしているけど一歩踏み出せない人」が一歩踏み出せる状況を作ることが大事かもねと。と同時に,「(今は)頑張れない,頑張りたくないと言っている人」には自分でその状況を選択しているんだということを決めてもらう必要があるかもねと。

50手前のおじさんの意見

こういう発言に繋がったのは,昨年のスプラウトの中で起きたあるクラスへの対応を思い出してのことだ。

3年生のあるクラスでは,明らかに学生が授業に来ることに対して拒否反応を示していて,授業を聞こうともしていない。が,学生は強く出ることができないし,注意をする立場でもない。果たしてこの状況をどうブレイクするか。

そこで私は「大学生がなぜここにいるのか、その理由を示そう。授業を受けないという権利を提示して良い。感情に訴えるのではなく、最後まで論理的に行こう」と。

実は「(今は)頑張れない,頑張りたくないと言っている人」も本当は頑張りたいのかもしれない。けど,どこかで諦めてしまっているのかもしれない。まさに自己効力感の問題で,頑張ることが怖いかもしれない。失敗が怖いのかもしれない。

だったら,「学校で頑張っている人を外向きばかりに発表するんじゃなくて,生徒や先生に向けて発信するメディアがあっても良いんじゃない?」という提案をさせてもらった。具体的過ぎて生徒自身で考えるというプログラムの趣旨からは逸脱してしまったようにも思うが,それぞれの人の意思を尊重しつつ,少しずつ挑戦したい人を増やしていく環境づくりとして,周りが何をしているのか,何に打ち込んでいるのか,頑張っているのかを互いに知るように導くっていうのは良い動きなのではないだろうか。

その時に引き合いに出したのはアイドルの「推し活」。自分が好きなアイドルを応援するのと同じように,自分の周りの生徒を応援してあげられるようにすれば,自然と他者を敬い,その他者が「自分は応援されている」という自覚を持って活動に取り組むことで,より良い方向に進むのではないか。

高校生によるプレゼンテーション

そうこうしながら数時間。娘と古民家で過ごして,いよいよプレゼンテーションの時間になった。

たくさんの委員会からの報告があったので,時間は大幅超過。こちらも時間配分がよくわからないままコメントしてしまった(ゼミの調子で)ので申し訳なく。もう少しタイムマネジメントがあると良かったですね。

ここで高校生から出たいくつかのメッセージを画像とともにご紹介しておきます。

おっ

これは先程相談に乗った生徒さんから出てきた言葉。『スプラウト』では亜ントレプレナーシップを「一歩踏み出す勇気」と教えているけれども,まさにその言葉を元に考え出してくれた言葉だ。

(余談)
 この生徒さんからありがたいことに,2022年度の授業はめちゃくちゃ面白かったというメッセージを頂いた。「毎回新しい内容になるし,学生さんの授業もどんどん上手になるし,私たちも楽しく授業が過ごせました!」と。こうした声が出てくるのは学生の努力の成果だし,毎回の授業をより良くするために準備をしてきた証。こうしてでしか学生は自信を持てるようにならないし,プロジェクトマネジメントや成果物に対するコミットメントが生まれないのではないか。
 PBLの1つの到達点は,(面倒とか,時間が取られるということではなく)他者との介在を経ながら,他者に対する向き合い方を通じて「いかに自分に向き合えるか」にあるように思う。チームで決めたタスク,自分で決めたルールに従いつつ,自分に向き合えるか。「自分の中にある正しさに向き合えるか」が大人になるということだろうし,人からお金を頂いて働くというビジネスを学ぶ学徒の持つべき姿勢であるように思う。

この女子生徒は「この学校は挑戦する機会はたくさんある。挑戦し始めた学生の背中は押してくれる。けれども,始めた後は放ったらかしにされてしまう感じ。そのスタート時点でも応援が欲しいし,サポートが欲しい。そうして形になれば,頑張れる人は増えるのではないか」と言っていた。

確かにゼミのプロジェクトも同じなんだよな。ただ,スタート時点でどこに向かうかがわからないようなプロジェクト=学生スタートで始まるプロジェクトの場合は,彼・彼女たちがどうしたいかからスタートする場合もあるわけで,この辺りの匙加減は難しい。ここは何年やっても私の力量が上がらない点でもある。

これもそうだよなぁ

必死になっているのは本人だけで,周りはその必死さに気づいてあげられないというのも良くあるパターン。私もきっとたくさんの機会で学生のエマージェンシーコールを聴き逃してきたように思う。それは自分自身の精神状況が大きく影響している場合があって,(私も人間だからしんどいし,苦しい時はあるんだけど)私自身の行動や発言の結果,学生からの信頼をなくすということは多々あるだろう。ここは,生徒も先生もトライアンドエラーを繰り返しながら学んでいくことが肝要だ。

認め合うことは大事

別の女子高生からはこんな提案が。私は「互いに認め合い、自分に自信が持てる学校」にしたいと。

最近の生徒はcanvaでプレゼンを作る。

人を認めるってとても難しいこと。が、認め合える関係は互いに自立しているから成り立つわけで、自分ができないことを妬んで足を引っ張るような関係は望ましくない。その大目的があって、自分の委員会では何ができるのか。そこをよく考えて提案されたメッセージにおじさんは腑に落ちた。

「自由」とは何か?

そして、最後は重いけど、とても大事な提案があった。

「自由」というのは好き勝手それぞれが何をしても良い、何を発言しても良いということではない。ここで高校生は「善悪を自分で判断することで自分で気づくもの」と自ら定義している。

生徒会活動は、単に生徒の代表ということだけでなく、学校運営上の利害関係者であり、ともに学校を創り上げていく重要な活動でもある。それを単に役割的に生徒の声を吸い上げようというだけでなく、ここで話をしてくれた生徒たちは(必ずしも十分ではないけれども)「なぜこのような意見が出て来ているのか?」「自分たちにとってこの意見が出てくることの意味は何か?」というなぜ(Why)を問う本質的な問いに挑んでいる。

参加して感じたこと

私にはこういう話ができる友人が持てなかった。それは自分自身が未成熟で、自分をコントロールできない当たり散らすような人間だったこともあるし、その理解を得るための努力を十分にしてこなかった。そのツケが今回ってきてるのかもしれない。

一方で、ある出来事をキッカケにいじめられっ子になり、蔑まされる対象になってしまって、自分の意見を発しても誰にも受け止めてもらえない(学校の先生にすら)という状況にあった。

もし学校がこんなだったら。もう少し自分の人生も変わったかもなと思いつつ、こういう未来ある生徒たちにどんな機会を作ることでより良い未来ができあがるのか。

アントレプレナーシップ教育は徹頭徹尾未来志向であるがゆえにその成果の測定にはとてつもなく長い時間がかかる。それがわかっているのに成果を求めようとし過ぎる自分がいること、そこで期待通りの成果が得られないもどかしさを我慢できない自分がいることに苛立ちを覚える。

高校生から自己肯定感、自己効力感だったり、心理的安全性という言葉が出て来ている。それがどういう意味かが正しく伝わっているかどうかはさておき、関わり始めて5年が経過して学校がどんどん変わっていることを肌で感じている。

小さいながらもこうやって高校が創ろうと思っている未来の一部に協力できていることが嬉しい。そして、こういう取り組みがさまざまな高校で行われ、(課題はたくさんあるけれども)劇的な変化を遂げ始めている高校が出始めていることに大学はもっと敏感にならなければならない。

高大連携アントレプレナーシッププログラム『スプラウト』は今回文部科学省の補助金を得ることができた(大学発スタートアップエコシステムPARKSの活動の一部として)。ここで得た資金を活用して活動を広げていきたいし、時間がかかっても社会にその成果を還元していきたい。

高校生が試行錯誤し、自らの意思表明をする姿を見て、おじさんはまだまだ頑張らねばならない、ここで心折れていてはいけないなと改めて確認することができました。

私も微力ながら良い学校、良い社会を創れるようにその一員として努力せねばいけません。そのためにもっと強くなりたい。

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