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雑記(五六)

 唐では、一日に百首の詩を作ることがあるという。それでは試しに、お前は二時間で、十首の詩を作れ。宇多天皇の第一皇子であった敦仁親王は、菅原道真にそう命じたことがあった。

 二十四時間に百首ということは、単純計算で、二時間二十四分で十首。だが睡眠や食事の時間を考慮すれば、おそらく、十首に二時間はかけられまい。敦仁親王が命じた、二時間で十首という指定は、唐の例に比べても、かなり厳しいものであったようだ。

 時は寛平七(八九五)年の三月二十六日。『菅家文草』によれば、親王は「即ち十事の題目を賜ひて、七言絶句を限りたまふ」、敦仁親王はすぐに十項目の詩題を道真に与えて、詩の形式を七言絶句に限定した。一行七文字、四行からなる漢詩を作れということだ。本文と訓読は、川口久雄の「日本古典文学大系」の『菅家文草 菅家後集』(岩波書店)を参照している。

 道真はどうしたか。「予筆を採りて成すこと二刻にして成し畢はんぬ」。私は筆を手にして、「二刻」でこれをやりとげた、という。「二刻」は今の一時間のことで、敦仁親王が与えた条件は「一時」、すなわち二時間であった。したがって、道真は、制限時間の半分でやり終えたことになる。

 これに続くのが、「雖ひ凡鄙なりと云ふとも、焼却すること能はず」という記述で、たとえ凡庸で、ひなびた作であろうとも、焼き捨てることはできない、というのだが、謙遜しているのは表向きのことに過ぎないだろう。一時間で十首、実に六分に一首という驚異的な速度で詩を作って、大したものではありませんが、と断りつつも、実力を自負しているのであろう。

 このときの十首の詩のなかに「落花」がある。「花心不得似人心/一落應難可再尋/珍重此春分散去/明年相過舊園林」。「花の心は人の心に似ること得ず/一たび落ちて再び尋ぬべきこと難かるべし/珍重す 此の春分散し去るとも/明年 舊の園林を相過ぎなまし」。

 ことさらに難解な詩ではないが、川口久雄が頭注で、花に呼びかけるような翻訳を試みているのが面白い。「花君よ。お前さんの心はどうも人間の心と似ることはできないようだ。…花は一度散り落ちてしまえば、もう二度とたずねることはむずかしいようだ。…花君よ、さらば御機嫌よう。今年の暮春、君と私とはわかれわかれになってしまっても。…来年、再びもとの宿の庭の林をお互いに過ぎてほしいものだ」。「珍重」は「お達者で! の意の挨拶のことば」だという。

 また川口は「明年」以下の句について、補注で「しかし人間は同じ心に君をしたっても、今年の花はすでに去って再び同じ花にあうよしもないの意をこめる」と述べている。

 ここには、紀貫之の「人はいさ心も知らず古里は花ぞむかしの香に匂ひける」に対する返歌「花だにもおなじ心に咲くものを植ゑたる人の心知らなん」(『貫之集』)に通じる発想が、はっきりと見てとれる。「雖ひ凡鄙なりと云ふとも、焼却すること能はず」は『土佐日記』の末尾の「とまれかうまれ、かく破りてむ」を思わせるし、『菅家文草』のこのあたりは、貫之が、特に熱心に読んだ箇所なのではなかろうか。

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