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ポルノ大国に喰われた炎上ドラマ『THE IDOL』

 夏の炎上ドラマとしてHBOとザ・ウィークエンドがぶちあげた『THE IDOL/ジ・アイドル』。放送前の騒動最終回後のまとめは記事にしたので、受容の面について書いてみる。

*性的で暴力的な情報や記述があります

肩透かしだった性描写

 諸々の告発で放送前から「炎上ドラマ」となった『THE IDOL』。その騒ぎを利用したサム・レヴィンソン監督のコメントのなかで、ユニークだと思ったのがテーマ解説。

「我々は非常に性的化された世界に生きている。とくに合衆国では、ポルノが若者の心理に強い影響を与えている。ポップミュージックで見ることができるものだ…この分野には、インターネットの暗部を反映してるかのようなところがある」

 つまるところ、女性ポップスターとポルノ文化の関係に光をあてようとした作品とうかがえる。実際、とくに米国出身の女性歌手は「独立した強い女性像」と「肌を露出するセクシーな像」の混合が定番。これには身体を誇る黒人女性文化ルーツとか服装ふくめた日本との文化ギャップとか色々あるのだが、記事にも書いたけど、元キッズスターが一人前の「大人」として認められるために脱ぐキャリアルートはいびつでもある。なので結構面白そうだったのだが……
 『THE IDOL』の基本的な問題って「ペース配分や演技が酷い」品質面なのだが「炎上狙い過激作」方面で盛り上がらなかった理由は「全然過激じゃなかったから」である。売りにした性描写は「ソフトポルノ」と形容される程度のもので、HBO作品なのに局部ショットもなかった(元々HBOは性暴力や拷問も描写する「表現の幅」で有名で、近作でもティーンドラマやバカンスものでも無修正ペニスが登場している)。

 「過激すぎる」と騒ぎになった界隈はBLACKPINKジェニーの振りつけがショックだったK-POPファンまわり(東亜アイドルの場合、アメリカの通常ポップスターより「クリーン」なのでショッキングにはなるだろう)。一方、肝心の性描写に関するバズは「ウィークエンドの棒読みが爆笑」みたいな冷やかしであって、驚きではなかった。

ポルノ大国の日常

 『THE IDOL』監督交代騒動に怒ったクルーは「風刺作品だったのに風刺対象そのものになった」と表現していたのだが、過激売り作品として「ミイラとりがミイラになった」ようなものだと思う。というのも、本作が肩透かしとされた理由は「ポルノ大国アメリカの大衆文化はもっと過激だから」である。
 『THE IDOL』が放送された2023年夏のアメリカの話題を挙げてみよう。

  • カニエウェストがパーティーでエッジィな女体盛り

  • テイラースウィフト新彼氏の「人種差別的な拷問AVで抜いてる」発言が注目される(特定の有色人種女性にトラウマを語らせて泣かせたりし、主に白人男優が吐瀉物を食べさせたりバリカンで坊主頭にしたりするジャンル)

  • 2010年代にはナンバーワンヒットを出していたラッパー、イギーアゼリアがOnlyfansでセックステープを即完売させ「前から身体は売ってたに等しい、昔はレーベル主導だったから主導権を持てて嬉しい」旨を語る

  • 陰謀論で知られる共和党議員マージョリー・テイラー・グリーンが大統領の息子ハンター・バイデンの売春リーク写真を議会で掲げて黒塗りペニス&全裸&フェラチオが中継に映る

  • そのハンター・バイデンが全裸でウォータースライダーをすべり複数の売春婦とよろしくやってる写真が話題になる

  • TwitterあらためXの英語圏おすすめ動画一覧がポルノだらけで苦情殺到

 『THE IDOL』より日々のニュースのほうが全然過激なのである。最後のXの苦情もポイント。『THE IDOL』を肩透かしとする意見には「見たくもないハードコアポルノを目にしてしまう今の情報環境をHBOはわかってない」という指摘も散見された。つまり、このドラマは「ソフトポルノ」と形容された時点で「衝撃」面で負けている。

 この「肩透かし」反応から、最近のTVドラマ、音楽、ゴシップ面で気づいたことを書いてみる。

【TV】「衝撃」性表現はホラー

 『THE IDOL』で感じたのは、真面目な評論で「男性目線」と形容されるような性表現というのは、今日「凡庸」と受け止められないリスクがあること(もちろん本作の場合、見せ方や演技もあるんだけど)。ポルノが見たかったら動画サイトにアクセスすればすぐ見られる環境なのだから、メインストリームの映画やTV番組における「直球エロティシズムなシーン」をありがたがる消費者はかつてより少なくなってるだろう。
 そんなご時世、映像ストーリーテリングが「新鮮」な性描写などう打ち出してるかというと、性暴力問題視が浸透したMeToo以降もっぱら「ホラーとしての性的な暴力」。『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』(2017-)の上記クリップとかまさにそれ。2010年代に王道エログロで鳴らした『ゲーム・オブ・スローンズ』のスピンオフ『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』(2022-)では「帝王切開で残虐に生きたまま切り裂かれる王妃」を開幕のハイライトにしていた。これはフランチャイズに求められる「インパクト」としても賢い手だろう。過激な性描写に慣れてる若者に短時間で衝撃を与えたい場合、直接的な表現よりホラー演出が効きやすい。

【音楽】2000年代タブーの前後

 『THE IDOL』のポップスター描写でも思ったことがひとつ。記事に書いたように、この作品は「ブリトニー・スピアーズの伝説」を前提にセレーナ・ゴメスみたいな元子役歌手を主人公にしている。トップクリエイターにミレニアル世代が多くなった今ブリトニーネタが流行るのはわかるのだが、彼女がもたらした「衝撃」を重視するとなると、結構難しいかもしれない。

 重要なのは、今現在、ブリトニーの次のリアーナ時代を経たカーディB時代であること。リアーナの問題作といえば女優を全裸拷問して自分も血まみれ全裸になる18禁MV「Bitch Better Have My Money」(2015)。そしてストリッパー歴を誇る人気ラッパー、カーディB「WAP」(2020)のリリックは日本語だと主要プラットフォームで規制がかかる代物。題名は「wet-ass pussy」の略称、つまり下ネタ。これがデビュー早々Billboard1位になってメガヒットするのが2020年代アメリカのポップシーンである。

 そもそも、2000年代にブリトニーの「セクシー化」の衝撃は、彼女が「キリスト教徒としての純潔宣言」をしていた元子役だったことが大きい。『THE IDOL』でオマージュされた「I'm A Slave 4 U」(2004)とは「婚前交渉禁止」宣言をしていたスーパーアイドルによる乱交オマージュのようなものだった。今アメリカでそのインパクトを再現できるのって、プライベートの性愛事情を明かさない傾向にあるK-POPスターくらいかもしれない。ゆえに『THE IDOL』の性描写を「衝撃」としたグループがBLACKPINKファンくらいしかいなかった状況はさもありなん。

現在でもモザイクを入れられるマドンナさんの『SEX』(1992)

 忘れてはならないのは、白人的な主流文化にかぎっても、ディズニースター覇権だった2000年代より1990年代ポップスターのほうが過激だったこと。30周年を迎えたマドンナのフォトブック『SEX』(1992)はボンテージからアナル舐めまであって今でも十分に扇状的だ。
 つまり、前後のディケイドのほうが断然過激なので「ブリトニーの衝撃」そのものが結構特殊な時期だったことになるかもしれない。

不穏な音楽業界へのラブレター

 これだけ書いといて、というか書いてるからこそ『THE IDOL』のポップスター産業へのアプローチは結構好きで、現役ポップスター製作だからこそ冴えていた点もある。

雰囲気まで似せてあるゴメスとアシスタントの親友

 ひとつは「雇用された親友」。主人公ジョスリンは幼馴染の親友をアシスタントとして雇っていることを当然のように良いこととして扱う。普通、対等なはずの友人の雇用主になるなら配慮が求められるはずなのに。これはショービズ育ちの主人公の歪んだ価値観の伏線で、のちのち他の雇用された友人であるザンダーへの操作的虐待であらわになる。
 モデルにされたであろうセレーナ・ゴメス筆頭に「被雇用者を親友とするセレブリティ」は珍しくない。「雇用関係と友情的つながりの不健全な境界線」としてよく語られるものだ。『THE IDOL』放送後に話題になったリゾのアシスタント裁判問題もこれに引っかかった。最初に報道された内容はセクハラやパワハラで「明るいボディポジティブアイコン」たる歌手側のイメージはだだ下がり。しかしその直後、原告ダンサー側がよりにもよってタブロイド取材を受けたことで、インターネット世論はねじれていった。「リゾにクールな友人と認められてもらえばプライベートジェットで南国旅行につれていってもらえた(から嫌なこともやった)」みたいに受け止められるようなことを言ったため「労働問題ではなく不健全な仲たがい」の印象を与えたのだ(これは世評プレッシャーによる早期和解金目標でも弁護士が良くない気がするけど)。
 元々、被雇用者に訴訟を起こされるセレブリティは珍しくないし、エンターテインメント業界の「特殊さ」ゆえに労働環境の問題を法的立証しにくいとも言われている。件の裁判はまだなんとも言えない状況にあるものの、ショービズ戯画としてのジョスリンって、この面だと的確な「モンスター」だったかもしれない。

 ただ『THE IDOL』を振り返ってみると「ハリウッドの闇」をテーマにしたわりに、ウィークエンドによるピュアなラブレターっぽくもなっている。自分の利益しか考えていないように描かれた音楽業界の者たちは、結局のところPRリスクを認識しながら「真に才能のある音楽家」と位置づけられたテドロス軍団をポップスターの前座にしてしまう。普通ならすでに売り出し中の契約歌手をそこに置くだろう。つまるところ、なんだかんだこの世界の音楽業界は「才能」をちゃんと見ている。ここらへん、実際に業界で大成したメガスターらしい価値観な気がする。

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