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ブレイキング・バッド 『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』S1E7

 『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』S1E7「ドリフトマーク(Driftmark)」考察と感想。

デイモン笑う

 みんなで体面を取り繕っていた葬儀は死者の夫であるデイモンが笑いだして即崩壊。理由は複数推測されているものの、カメラワーク的に「ヴェラリオン家の弔辞」が原因だろう。「我々の血は濃い 我々の血は真」と詠まれているが、王女の息子たちはあきらかにレーナーの子ではない。当の嫡子は気まずそうな顔をしている。だから嘲笑った。もしくは、ヴェイモンドが落し子疑惑の王女親子にshadeを送り、レイニラと目があったデイモンが笑うことで反撃した、ともとれる。こちらだとしたら、娘2人を蔑ろにして姪を優先する男としてシンボリック (TV版デイモンは原作以上にベイラ、レイナに対して酷い父親になっているため)。
 どの道、このエピソードのキーは「血」と「手」なので、崩壊序曲が「血」の句というのは順当である。

ヴァーガー選ぶ

 ヴァーガーがエイモンドを選んだ理由。元々、ヴァーガーの歴代主は戦闘的な人物。レーナの場合、平和な時代だったため目立たなかっただけで「ドラゴンライダーとして死ぬ」意志を決行したあたり爆裂なパーソナリティだった。よって、戦士として呼びかけ獰猛ポテンシャルもはらんでいるエイモンドを選ぶのは自然である。おそらく、二人並んだとしても、引っ込み思案なレイナは選ばれなかった。ドラゴンの主体性を重んじる場合「簒奪」にはならない。人間関係としてどうなのか、という話だが、彼を突き動かした要因を兄&レイニラ息子たちからのイジメにししたのはよりカルマで上手。
 一方、おそろしいのはドラゴンという存在の力。ジェフに弔いの言葉をかけたがっていた少年は、世界最大のドラゴンに乗ったことで人柄も変わってしまった。

レイニラ煽る

 まっとうな養育者皆無の修羅場会議。レイニラの「お前の正体(嘘)が晒された…」落涙が意味不明、と謎を呼ぶ。
 公式解説と考察をまじえると、こんな感じかもしれない。

レイニラは見捨てられ不安が強い(デイモン、アリセント、ヴィセーリス経由)
→デイモンとの逢瀬でメンタル改善/デイモンから「アリセントは人を殺す」疑念の不安を植えつけられる
→デイモンによって見捨てられ不安が緩和したため、修羅場会場で立ち向かった
→父が自分を贔屓することを理解して反逆罪の話をだし、アリセントを煽って誘導した
→涙を流したのは「デイモンの言う通りアリセントは人を殺せる=ハーウィン殺人犯」と受け止めたため?
孤立するアリセントのカット

 「流石にレイニラが酷くない?」と物議を醸した一件。それまで色々あったとはいえ、あの場で反逆罪の話を持ち出したのはレイニラである。つまり相手方の命を脅かしたのは王女が先で、「こいつ本当に私たちを殺す気だ」と確信させられたのも王妃が先だろう。追い詰められたアリセントが暴力的な論を唱えたのは、レイニラにやられたことへの反射の面もある。

ブレイキング・バッド

 アリセントへの煽り誘導は、見捨てられ不安が強いレイニラの試し行動っぽく、そのやり方が権力濫用 (弱者の境遇への想像が足りないピュアネス) というあいかわらずの問題が香る。元親友を殺人者と受けとめたあと、自分が罪なき従者を殺害する皮肉の闇落ち。デイモンとの関係が暴力性を加速させているのは明白だし、ビーチでのセリフは児童性虐待被害者っぽすぎて不穏さ尽きず……。
 アリセントに関しては、人を斬りつけたことを謝らず (自身の本心からも) 逃げたこと、エイゴンをナチュラル殴打したことなど、こちらも問題尽きず。刃傷事件でも相手を殺せるタマじゃなかったのに、父親と再会し自傷行為が再発、サイコ殺人鬼ラリスを受け入れ闇落ち完了。また、ネタにされがちなエイゴンのアルコール依存は虐待の影響ではないか。強制児童婚だったアリセントは子どもたちの愛し方がわからない風だが、なかでも、自分のトラウマを刺激する「弱者にセクハラする特権長男」への苦手意識が強いように感じる。彼女が今エピソード中も妊娠中とにおわされている地獄 (ヴィセーリス旺盛すぎる)。
 「『HOTD』はレイニラ贔屓=彼女ばかり善く映しすぎ」という不満が増えてきているが、今のところ、盟友の選択を誤った双方の闇堕ちエピソードな気がする。

 「殺人を侵す/許容するになった」闇堕ちは「ブレイキング・バッド」とも言える。"Breaking Bad"の意味はおおむね「うまくいかない、下り坂を転がる、不道徳や犯罪に向かう」。そして人気ドラマのタイトルでもある。
 ドラマ『ブレイキング・バッド』らしいのが、ヴェラリオン夫妻である。この二人の継承議論はファンの意見がわかれた。領地継承者をヴェラリオン姓の庶子にしようとするコラリーズは「名」主義、娘が生んだ孫娘にしようとするレイニスは「血」主義とも言える。前者がリベラル、後者が保守的な血統主義なのか。はたまた、長子主義に反して男児を選ぶ前者は性差別的であり「妻が受けた性差別を許さない」スタンスが詭弁とも捉えられるのか……etcいろいろ言われているが、あのシーンで重要なのは、議題そのものや現代イデオロギーより、夫婦間の亀裂だろう (継承問題に関しては、お得意の政略婚を孫同士でさせる手がある)。
 元々、レイニスは継承問題の傷を癒そうとつとめ、子どもたちの守護を最優先していた。彼女の戴冠にこだわりつづけたのは、オットーばりに権力欲が強い夫のほうである。レイニスはゲイである息子の婚姻に無理があるとほのめかしていたが、コラリーズは敢行した。結果、レーナーはアルコール依存となって妻子をネグレクトし、両親を騙して脱出した。

『ブレイキング・バッド』E5S16「フェリーナ」より

 『ブレイキング・バッド』には、父たる主人公が「(犯罪行為は) 家族のためではなく自分のためにやった」と認めるシーンがある。それを彷彿とさせるのが「妻のためでなくあなたの権力欲」と指摘されたコラリーズが、とくに否定せず妻の手をふりはらう場面だ。そして最後、息子の死を目前にしたレーニスは、夫の手を振り払う。要するに、ほかと違って機能家庭に思われたヴェラリオン家が崩壊したのである。「家名のレガシー」に執着するあまり今いる家族を大切にできなかったコラリーズが引き起こしたものと言えるのかもしれないし、レイニスのブレイキング・バッドが始まってしまうのかもしれない。全体に言えることだけど「家族の争いで勝者が出ることはない(JAY-Z)」のである。

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