結果
(この記事は色々な考え方がある中でかなり個人的な意見になっているかもしれません。あくまで私にとっての結果に対しての向き合い方です。)
卓球という競技は互いに勝ち負けをつける競技です。
卓球を習う、そしてある程度上達したら、力試しで試合を行うのが自然な流れかと思います。
試合もまた卓球を楽しむ大切な要素です。
逆に部活動で既に卓球をしている学生様は、試合で勝つために卓球を習うという流れがあります。
試合で勝ちを望み勝つことはとても刺激的で気持ちの良いものだと言えます。
勝ち負けが付く以上、
結果をだすために、努力を行うということは上達するために重要です。
勝ちにこだわる、それは卓球と向き合う一つの状態です。
特に大きな大会で勝つことを目標に掲げた場合、そのために何ヶ月も前からトレーニング、練習メニューや試合を組むといった事を考え、
実行したり、その都度訂正したり、また新たな発見があったり、自ら練習で追い込めたり、、、。
引退試合を見据えた学生様は特にそんな時期よく伸びたりするのではないでしょうか?
目標を設定し、主体的にそこに挑戦する姿勢があれば必ず伸びます。
練習の質はグンとあがることでしょう。
こうしてみると勝ち負けかわからないが〝結果が出ること〟はありがたいことです。
指導者として生徒達に試合を意識した練習を求めることも有効な手段だと思います。
さて、
ではここで視点を変えてみましょう。
結果がなにより大事か?
これに対してはそうとは言い切れないと思います。
たしかに練習の段階で結果を求めることは上達するために重要ですが、
あまりにも執着がいきすぎると(気持ちの切り換えができないと)
試合が終わったあとまで引き摺る可能性が出てきます。
出た結果に対して、内容から改善点を洗い出すのは悪いことではありませんが、
結果自体はただの結果であるので、そこを見ても特に何もないのです。
特に指導者は率先して、出た結果を頭の中から捨てるくらいで良いのではないかと思ってます。
大切なことは内容を見て、次にどう活かすか。
それだけで良いと思います。
また、こんな話を聞いたことがあります。
名門の◯◯高校の◯◯部はOB会でも世代による格差がすごい。
全国優勝したメンバーと、県予選で負けたメンバーとでは今なお扱いが違う、
という話です。
実力主義な考え方として、そういった考え方があるようですが、
個人的には違う考え方をします。
結果は肩書きになります。
肩書きが必要な場面はたしかにあるかもしれません。そのために努力するのは立派です。
しかし、出た結果を比較しても何にもなりません。
そもそも対人競技です。組み合わせによっていくらでも変わります。
直近の大会で準優勝した生徒、二回戦負けの生徒。
成績でみたら大きな差を感じますが、
どちらも勝った試合と負けた試合があって、共に良かった点、悪い点が見つかると思います。
大切なことはその内容を次にどう活かすかで、準優勝と二回戦という結果は、次の試合を見据えて何も関係ないのです。
必死にやればやるほど結果にとらわれて、残した成績を比較する思考になるのは理解できます。
でもそれで傲慢になったり、自信を失っても仕方ないことです。
そこは指導者として、
生徒達よりも常に広い視野を持ち、結果よりも選手達と向き合いたいと思ってます。
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