明日死ぬかもしれないと思って生きろ

仕事の将来が不安で、いろいろと考える。

売上がどうだ、お客から期待されてるか、売掛の回収は出来てるか・・・。

来月、再来月、半年後、一年後・・・会社はどうなってるか・・・。

考えればきりがない。悶々と考え続けて、結局、「この先・・・きちんと生きていけるのか?」とまで思ってしまう。

と、なると「死」というものを必然的に改めて考えるようになり、45歳にして「死」とはなんぞや、「生」とはなんぞや・・・とか考えたりしてます。

かのガンジーは「明日死ぬかもしれないと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」という言葉を残した。「明日死ぬかもしれないと思って・・・」なんて、そんなビクビクしながら生きれない。あ・・・そう思う時点で「死」が「恐怖」であると感じている自分がいるってのが分かった。
「死」は「恐怖」なのか?

はい・・・だって・・・・未知の領域ですから。

でも、数年前の事、祖父が98歳で逝去したときは「じいちゃん・・・人生全うした生き方だったね」と「死」を肯定的にとらえていた。でも、いざ自分のこととなると」・・・怖い。なぜか?手放したくないものがあるから。それは・・・・家族。一人っ子の娘、嫁さん・・・まだまだ一緒にたくさんの時間を過ごしたいと思うから。なので、これからもしっかりと家族と一緒の時間をしっかり作って過ごそうと思う。それが後悔のない生き方になるのかもしれない。

仕事も大事、社員も大事。自分にとって何が一番大事か?って、なかなかわからないけど、「死」を見つめたときに思った「恐怖」の原因が、自分にとって大事なものを気づかせてくれたかな。

いつ死んでもいいように、家族にたくさんの愛を^^

#家族 #死とは #生るとは

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