紫色の土星
【ヘッダー画像は@enaaa_nさんのInstagramより転載させていただきました】
私のまどろみは、矢の音で破られた。
気がつくと教室に1人取り残されていた。
みんな五限目が終わって教室を後にしてしまったのだろう。
また矢の音が鳴り響く。
この音しか聞こえなかった。
いつもなら聞こえる放課後のざわめきが、今日は音を潜めている。
矢の音に向かって、私は立ち上がり歩き始めた。
校舎の裏にある弓道場。
そこで、1人の男の子が矢を放っている。
袴姿のピンと伸びた姿勢。
弓に矢をかけて、耳のあたりまで弦を引き伸ばす。
穏やかな空気がその時だけ張り詰める。
張り詰めた空気は時を止める。
時を止めて彼は矢を放つ。
止まった時の中で、我々は矢を追いかける。
矢が的に当たった瞬間、また時が動き始める。
「矢を射るとき、何を考えてるの?」
いつか彼に問うたことがある。
「土星のことを考えてる」
そう彼は吐き出すように言った。
「あの輪っかがある星のこと?」
「輪っかを思い浮かべていると、無心になれるんだよ」
今も彼は土星の輪っかを頭に描きながら、無心に矢を放っている。
しばらく彼を見て、私は家路につく。
電車の中で彼からメッセージが届く。
「今夜20時43分に南西の夜空を見て」
彼からの指示に私は少し動揺する。
けど「わかった」とだけ返事をした。
家の近くの公園から空を見上げる。
南西の夜空に小さく紫色に光る星が見えた。
「あれは土星だよ」彼からメッセージ。
「土星って紫色なの?」
「選ばれた者だけが紫色に見えるんだ」
「誰に選ばれるの?」
「土星にさ」
私が他の質問を打つ前に、彼がメッセージを刻む。
「大切なことは、僕たちだけが紫色の土星を見てるってことなんだ」
私はまた空を見上げる。
紫色の土星はしっかりとそこにいた。
紫色の光はすぐに消えてしまう。
いつもの夜空に戻っている。
私は思い出そうとする。
紫色の土星を頭に描こうとする。
紫色の光が蘇ってくる頃、矢を放つ音がどこかで鳴り響いていた。
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