見出し画像

望みはすべて叶い、思考は現実化した。なのに僕は途方に暮れていた

<お知らせ>

この記事は単品でも購入できますが、月額購読の方がずっとお得な料金設定になっています。

ぜひ「立花岳志のブログに書けない本当の話」を購読ください!

</お知らせ>


毎年6月から7月になると、心が重くなる。

3年前の大きな出来事を思い出す機会が増えるからだ。

3年前の6月に僕は大きな決断をした。

そして7月にその決断が実行にうつされた。

Facebookの「思い出」機能を見返すと、3年前のこの時期のことが毎日ありありと思い出される。

それは切ないものではあるが、僕は思い出機能をオフにしようとは思わないし、特定の人や時期を非表示にすることもしていない。

あれも長い僕の人生の中で起こった一つの出来事であり、その出来事を封印したり否定したりする必要はない。

無理に起こったことを教訓に転化しようとは思わないが、あの時何が起こったのか、そしてなぜ起こったのかについての全容解明はしたいと常に願っている。

2年前、つまり1年が経った頃、僕はまだ呆然としており、ものごとは完全には過去形にできていなった。

そして1年前、去年の今ごろは、精神的依存からの脱却を決め、「誰かに頼る」ことを止めて自分の脚で立ち上がる決断をしつつも、まだ前を向くことができずに逡巡していた。

さらに1年が経過した今年、僕は3年前に起こったことの全体像をほぼ把握することができ、自分が前に進んでいることを実感できるようになりつつある。

自分が前に進めば、3年前の記憶は少しずつ遠くなっていく。

自分と記憶との距離ができると、より全体像が俯瞰しやすくなっていく。

そして先週僕はこの記事を書いた。

この記事を書いたことで僕の中の内観がさらに進み、全体その俯瞰に加速が掛かったように思う。

そして今朝、僕にまた一つ重要な気づきが降ってきた。

ここから先は

2,595字 / 1画像

¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?