自分責めを止めると人生ホントに楽になる
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心の学びを深めていって良かったと思う最大のポイントは「自分責めをしなくなったこと」だと断言できる。
もちろん人間なので万能ではなく、たまにやってしまうことはあることはあるのだが、やってしまう回数が激減したし、仮にやってしまったとしても、軌道修正して早めに脱出できるようになった。
ちなみに自分責めとは、何か上手くいかないことがあったり失敗したときとかに、原因を自分の存在に向けてしまうこと。
たとえばダイエットをしようと決意したその日にアイスクリームを買って食べてしまったとときとか、仕事で失敗して上司にひどく叱責されたときとか。
そういうときに、「ああ、どうして自分はこんなに意志が弱いんだ」とか、「自分が本当にイヤになる」とか「自分て本当にダメなヤツだ」など、自分の存在を責めてしまう。
自分責めをすると辛いのはもちろんだけど、物事が上手くいかない原因を全部自分の存在に向けてしまい、視野が狭くなり固定してしまうのが一番の問題だ。
たとえば仕事でミスをして叱られた場合なんかは、きちんとミスの原因を探って再発防止をすることが一番大切になる。
ところが問題の原因を「自分の存在」ということしてしまうと、改善のしようがないという結論で片づけてしまうことになり、実際にあるミスの原因に目を向けることができず、したがって解決もできないことになってしまう。
でも我々のほとんどは、遺伝子の中に自分責めをするプログラムがセットされているようで、生まれて育つ間に親や幼稚園、学校の先生からのちょっとした叱責の言葉がキッカケでそのプログラムが発動してしまう。
そしてそのプログラムを持っていると結構便利なこともあったりするからやっかいで、自分責めプログラムを手放すことがなかなかできなかったりもする。
自分責めプログラムを持っていると何が便利って、難しいチャレンジなんかをせずに、こぢんまりと生きたいときに、「どうせ自分はそんな器じゃないんで」みたいなことを言って逃げることができるのだ。
責任を負わなきゃいけないときとか、プレッシャーがキツイ仕事とか、難しい判断とかを、ひょいと逃げるのに、自分責めプログラムはすごく便利なのだ。
でも、メリットよりもデメリットの方が圧倒的に多いのが実際のところだけど、ほとんどの人はこの自分責めのプログラムを自分が持っていることにも気付いていないし、手放すことができることも知らずに一生を終える。
自分責めまたは自己否定のプログラムを手放すのは訓練で誰でもできる。
でも、この訓練というのはある意味終わりがなくて、永遠に玉ねぎの皮を向き続けるみたいな感覚で取り組む必要がある。
訓練というよりも「修業」と呼んだ方が感覚が近いかもしれない。
やるべきことは、徹底的な自己客観視、つまり内観である。
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