働かない8月 〜 「生産性」というビリーフからの脱却
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最近ちょっと面白い現象が自分に起きている。
日々気分がゆったりして、のんびりして、仕事をあまりしようという気持ちにならないのだ。
何ていっても夏だし。暑いし。キラキラの海が目の前にあって、半裸の女の子たちが小麦色の肌を見せつけるように闊歩しているし。
最近憶えたジンソーダも美味しいし、もちろんシャンパンやビールも美味い。
明け方から夕暮れ時まで外はひたすら輝いている。そして僕は体調も気分も良い。
こんな天国みたいな環境にいるのに、どうして「生産性」のことなんか考えていられるんだ?
多少考えるのは良いとしても、生産性のことは、長い梅雨の時期や真冬の時期でも良いんじゃないか?そう思えてならないのだ。
夏にバカンスを取るのはヨーロッパでは当たり前ことだし、日本でもお盆休みという人も多いだろう。
でも僕はこれまでかなり突き抜けて「生産性」にこだわって生きてきた。多くの人に「趣味ハイパフォーマー」と宣言して憚らなかった僕だ。
そんな僕が「生産性なんかどうでもいい」と言っているわけだから、これはちょっとした事件だと思う。
どうして2020年の夏に、そんな事件が僕に起こっているのかをちょっと内観してみた。
結果、生産性と人間の幸福の間に、あまり相関関係がないことに、僕は気づいてしまったのではないか、という仮説が出てきた。
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