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激動の日々をプロセスとして再解釈する

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2014年の夏にこちらの記事を書いた。

昨日この記事のことを思い出すことがあり、ひさしぶりに読み返した。

とても深い感慨がそこにあった。

この記事を書いた時点と今の僕、6年の間に僕の人生にはひと言では表せない激動があった。

その激動の真っ只中にいた2年間は、僕はこの「人生はすべてプロセスである、そしてプロセスはすべて正しい」という言葉を口にしたり、SNSなどに書き込むことができなかった。

この言葉は僕の座右の銘に近く、激動の日々の中にいる間にも僕はこの言葉は常に念頭に置いて行動をしていた。

でも、自分の意志ではどうにもならないできごとが次々に起こっていくとき、自分がまったく望まない方向に物事が押し流されていくときに、「プロセスはすべて正しい」「プロセスはいつだって完璧」とは、やはり言いたくないときもあった。

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