空飛ぶ怪盗は風上へ飛ぶか?

ある日、パラグライディング愛好家が怪盗キッドの飛び方について考えた。

ある説では国内のハングフライヤー人口は600人程度と推定される。Jリーガーより珍しい。

キッドの翼は太くて小さい

見てわかるように、怪盗キッドのハンググライダーは実物に比べてアスペクト比(翼の縦横比)が低い。低すぎる。
端的にアスペクト比というのは高い方が遠くまで飛べるため、遠くへ逃げたい彼には不合理に見える。一方で、アスペクト比が低い方が乱気流に強く小回りが効く。さらに失速しづらい。

ここで、ビルからテイクオフして逃走する場合はどんな翼が適しているか。
ビルの隙間を逃げ回り、ギリギリ崖の上を行くような離着陸を繰り返す彼にとっては、恐らく翼の低アスペクト比は低い方が適している。

また、翼面積が極端に小さいこともポイントである。
翼面積に対する飛行重量を「翼面荷重」という。同じ体重なら翼面積が小さい方が翼面荷重は大きい。大きいほど飛行速度が速く、向かい風や乱気流に強い。
ビル風(強風・乱気流の巣窟)の隙間を飛ぶことを考えれば、やはり合理的である。収納しやすいという利点もあるだろう。

以上のように、一見すると漫画的な都合で奇妙なハンググライダー背負っているように見えるキッドに、怪盗ならではの合理性をこじつけられる。
翼が一瞬で展開する仕組みとか、ノーズに張られたマントの空力的合理性とか、そういうのはいいんだよロマンだから。

■補足:グライダーは高さを燃料に飛ぶ

キッドが水平飛行する描写があるが、これはほぼフィクションである。ある状況下を除いては。

前提として、滑空機はその位置エネルギーを使って、高度を下げながら飛行する。速度エネルギーを犠牲にしたり、地面付近の空力効果を得たりなど例外的状況もあるが、それらは数十秒と保たない。基本的に前方斜め下へ飛ぶ。

ところが、現実のハンググライダーはしばらく水平あるいは上昇飛行をすることがある。
これは、大気の対流や山肌に吹く風から発生する上昇気流に意図的に乗っているのである。グライダーの降下速度よりも上昇気流の方が速いために差引きで上昇できる。

猛禽類も同じ仕組みを使う。
彼らの飛び方をよく見ると、あまり羽ばたかない。上昇帯で翼を広げていれば、気流が自分を押し上げてくれるからだ。そうして稼いだ高さから、文字通りの"ホークアイ"を駆使して眼下の獲物を探している。

遠くへ逃げるなら上昇気流を使いたい

話を戻そう。
ではキッドがこの上昇気流サーフィン(=ソアリング)をできるかというと、かなり難しい。
理由は大きくふたつ。

①時間帯と環境が不向き

前述の"大気の対流"は日射が主なエネルギー源である。
そのため、夜行性の怪盗キッドは日中のような活発な対流(=サーマル)にあり付けない。

さらに、上昇気流は神出鬼没だ。
地形や時間帯の要因から発生ヶ所の予測は立つが、実際は天気と同じく出たとこ勝負で、その持続時間も短いと数十秒しかない。
仮に日中に参上したとしても、狙った場所と時間に上昇帯が出る保障はどこにも無い。
逆に、"対流"と言うだけあって高度を奪われる下降気流帯もある。

一方で、山肌に吹く風による上昇帯(リッジバンド)は多少期待できる。
斜面≒壁に風が吹くと、風は仕方なくこれを"乗り越えて"流れる。その上向き成分が斜面に沿った上昇帯を形作る。
”壁のような”ビル群があれば、そこに上昇帯が出来ることは十分期待できる。
あとは天気予報をよく見て、風向・風速の適した日を記した予告状を送り付けるだけだ。夜でもそこそこ風が吹く日はある。

ただ、ここで思い出してほしい。リッジバンドは地形に依存する。
つまり、この場合はビルの前にしか発生しない。
逃走しようと飛び立ったいいが、高度を保とうとする限りそこを離れられない。警察からすれば、目立つ彼を見失う心配もなければ風が止むまでに十分な応援を呼び寄せる時間もある。
これでは本末転倒である。

以上のように、キッドは時間帯と環境の要因から上昇気流を使えない。
使えたとしても”環境要因を使って、逃げる(移動する)"は両立できない。

②翼が不向き

前述のようにキッドの翼は低アスペクトのため"速くて機敏、風に煽られにくいが遠くへ飛べない"という特性を持つ。
一方で、上昇気流に乗り、その高さを使って逃げるためには、その逆の高アスペクトで"よく飛ぶ翼"が求められる。
実際のハンググライダーは後者寄りに設計されているため、キッドのそれより遥かに細長い。
究極は鳥人間コンテストの翼型だ。あれらは"同じエネルギーでより遠くへ飛ぶこと"を目的とする超高アスペクト翼である。要は低燃費だ。
その結果、よく飛ぶ反面、小回りは効かず煽られやすい諸刃の翼となっている。

繰り返すが、キッドはその翼型から猛スピードでかっ飛ぶと思われる。速すぎて、せっかくの上昇帯に留まれないのだ。
仮に、無限に広い平面S上に分布する上昇気流ベクトルVがあったとしても、キッドの翼は前方はもちろん下方にも速い。そして、その沈下速度より速い(強い)上昇気流はなかなか無い。あっても一瞬で通り過ぎてしまうほど狭い。
根本的にキッドの翼はソアリングに不向きなのだ。

強いて言うなら、積乱雲クラスのパワーがあれば乗れるかもしれない。
健康的に乗れるサーマルの強さは8m/s程度までだが、積乱雲のそれは20m/s以上らしい。なお、入れば人の生きられない高度まで攫われ、低温、低酸素、落雷等で死ぬ。らしい。

このように、現実的にはキッドが上昇気流を使って水平飛行することはかなり難しい。
ただ、画像検索を見ると最近はプロペラを用いた動力飛行もしているようだ。これなら話は別である。エネルギーのある限りどこまでも飛べる。コナンのスケートボードよろしくソーラーじゃないといいね。

キッドよ風下へ逃げろ

最後に、ある劇場版でコナンが
「ハンググライダーが飛ぶには弱い向かい風が最適だ」
と解説しながら水平飛行イリュージョンを魅せるキッドをバイクで追うシーンがある。

これは半分正しい。
正確には「ハンググライダーが"飛び立つには"弱い向かい風が最適」だ。

翼は前から後ろへある程度の速さで風が流れることで、翼を持ち上げる「揚力」を生み出す。
実際のハンググライダーは山頂から走って飛び立つわけだが、その滑走路(整備された斜面)の中で十分な揚力を作り出さなければならない。

例えば 速さ3⇚ で離陸できる翼は、 速さ3⇚ で走る必要がある。
言い方を変えると、 速さ3⇛ の風が必要になる。

ここで向かい風が味方をする。
例えば、 速さ1→ の向かい風が吹くと、動かなくとも翼は 速さ1→ の風を受ける。
あとは 速さ2⇐ で走れば、合計で 速さ3⇛ の風を受けて翼は十分な揚力を生み出す。より楽に飛び立てるということだ。
このことから、飛行機もその日の風向きに合わせて滑走路と向きを選択し、向い風の中へ(横風ならより向かい風成分の多い方へ)飛び立っている。

ただし、これはあくまで飛び立つときの話だ。ひとたび空中に出た滑空機は、基本的に風に生殺与奪を握られる。
テイクオフとは一転して、空中の向かい風は基本的に"敵"である。無動力の翼は露骨に飛ばなくなり、水平飛行どころか下りエスカレータのように沈んでいく残念な乗り物になる。
誰もが徒歩や自転車でこれを体感していると思うが、ヒイヒイ言いながらも地面を蹴れる地上のそれらより事態は深刻だ。

ここまで読んだ物好き各位はお察しと思うが、空中では向かい風ではなく追い風が味方である。
進む方向へ風が背中を押してくれる。空港の"動く歩道"状態だ。
速度が速くて燃費も良い。

そういうわけで、より速く遠くへ逃げるならばキッドの進路は「風下」一択だ。キッドの高速機なら地を這うバイクを撒くくらい訳も無いさ。
ただ、相手は東西の名探偵である。滑空機の特性を知っている可能性を見越して、敢えて風上へ飛んだのかもしれない。
なお、このときのキッドは間もなく狙撃を受けて撃墜されている。
飛行中のハングパイロットに弾を当てるとは、狙撃手も相当風を読むのが上手いらしい。
多分ロシア人。

おわり

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