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今日という日に何と名前をつけようか

 聞きなれないアラーム音で目覚めた。
しかしそれはアラームなんかじゃなくて電話の着信音。受信元はバイトの同僚。そこで目が覚めた。
 僕のシフトは10時からで、時計を見るとすでに10時17分。ここからバイト先まで電車で40分ほど。
「すぐいく!」
そう言い残してすぐに支度をした。ズボンを履き替えて、上着は寝巻きのままで行った。見た目が寝巻きっぽくないからだ。コンタクトレンズと村上春樹の本を持って家を飛び出た。
 駅に着いたらまず、電子改札にタップした。次の列車は6分後。僕は今すぐにでも飛び出したかった。ふと、ウーバータクシーを呼べばいいじゃないかと浮かぶ。今まで使ったことがないけれど、インストールはすでにしている。電話番号、メールアドレスにクレジットカード情報を登録したらすぐに使えた。仕事先までは30分ほど。こちらの方がやや早い。値段は$30ドル。電車だと、定期を買っているので無料同然。やっぱりめんどくさいし、電車で行こう。そう思ったが、何か不誠実な気がして人生初めてウーバータクシーを使ってみた。
 待っている間にバイト先のマネージャーに連絡した。そして車はすぐに来た。ドアを開けると中東系の顔をした男性が。
「Uber?」
僕が尋ねると「そうだ乗れ乗れ」と快く乗せてくれた。
「バイトに寝坊してしまったんだ笑」
「ああそうなんか!どんまい!はは!」
陽気な兄さんだなと思いながら愛想笑いをする。
「ところで君はどこ出身なんだい!?」
「日本だよ」
「おお日本か。美しい国だよな。この車もみろ。トヨタだはは!!」
「ありがとう。お兄さんは?」
「パキスタンだ」
「パキスタンか、かっこいいね」
僕はパキスタンについて何の知識も持っていないので少し悩む。話が詰まるだろうなとも思う。
「パキスタン人は何語を話すの」
「何だと思う?」
「ウルドゥー語?」
「なんだ知ってるじゃないか!はは!」
正解してなぜか少し嬉しかった。
「日本語で good girlってなんて言うんだ」
「いい女の子」
いい女の方が覚えやすいし一般的にだと思ったけどこの陽気な男の口から「いい女」がでたらなぜか嫌だったからノコをつけた。
「イイオンナノコか」
「みろ。あそこに走ってる女がいるぞ。お前はラジムとか行くのか」
「いかないな。でもランニングはする」
「そうか」
ここで沈黙が生まれる。チップ払わないんでもいいんだよな。そんな疑問が湧く。遅刻の言い訳も考える。寝坊は寝坊でもだ。言い訳がない方がいいかもしれないとも思う。そしてこの人は女の子の話題で話せばおそらくこの先仕事先までは会話は尽きないだろうと思うがなぜか話したくなかったので他の話題を振る。
「来週メルボルンマラソンに出るんだ」
「マラソンかいいな頑張れよ。ちなみに仕事は何をしてるんだ?」
「レストランだよ」
「それはキッチンか、ウェイターか」
「ウェイターだね」
「クールだね。給料はいいのか」
「あんまり良くはないね。でも僕は19歳だから最低時給が成人よりも低いんだ。君は運転手以外に何かしてるの?」
「探しているけど、運転手だけだな。結構給料いいんだぜ。もう7年もここに住んでるよはは」
僕らはメルボルンのいいところとかたわいない話をするが、双方の英語力の問題もあり、なかなか会話が続かない。
メルボルンは四つの季節が1日にある。みんなが知っている話だ。この話も当たり前にしたさ。
「今の家は、シェアハウスか」
沈黙の後、運転手が聞いてきた。
「ああ。三人の日本人と1人の中国人」
「なるほど。全員男か?」
「いいや、男2人女2人だ」
「おおそれはいいな!はは!楽しめよ!」
そこで僕のスマホが揺れる。バイト先のマネージャーから電話だ。
「もしもし」
「そろそろ着いた?今日は掃除はいいから急いでランチの用意をしてね」
「ありがとうございます。ご迷惑おかけします」
「マネージャーも日本人なのか」
ドライバーが僕に尋ねる。
「そうだよ。日本の女性さ」
僕はあえて先に女性であることを伝えておいた。
$5のチップもあげたらすごい喜んでいた。徳を積んだ気になっても遅刻がパーになるわけではない。時給1時間分とウーバータクシー代の合計$50ドルの損失。どこで補おうか考える。しばらくスーパーには行かないでおこう。大抵が不要な理由だからだ。

 この日は災難の多い日ではあった。僕はお客さんのワインのコルクを抜くのに失敗し、90年代のワインを台無しにしてしまったり、お客さんを僕のミスで長時間待たせたりもした。それでも、最後にはみんな笑ってくれた。お客さんも、マネージャーも同僚も。
「お前、賄いの残り持って帰りなよ」
シェフがそう聞いてくれる。そして、僕の賄いを容器に詰めてくれる。いつもは賄いを持って帰れなんて聞いてこないのに。
「今日は寒いわね」
お客さんが話しかけてくれる。
「I knowwwwww!!」
お決まりの返事で答える。2日前に感動した友達の接客を思い出し。僕ももっと会話を広げてみようと思う。
「メルボルンに来て半年が経ったけどまだまだ慣れないです笑」
「そうなのね。それならこれは聞いたことあるかしら。メルボルンは四つの季節が」
「1日にあるんですよね??」
「そうよ!!はは」
なんて笑い合えた。
 外は雨が降っている。そして今帰りの電車でDaniel PowterのBad Dayから始まったプレイリスト。今はあいみょんのマリーゴールド。文字に残さないと、「今日は大遅刻をした日」としかこの先何も覚えていないだろう。でも、1日にどれだけ悪いことがあったとしても、いいこともあったということを忘れてほしくない。綺麗な思い出が、大遅刻に飲み込まれる前にここに残します。
 書くほどでもないけれどもっと綺麗な思い出があったと思う。同時に悪い思い出も。まあ、that’s my life.
僕はそう整理する。

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