短編小説「カレーライスのはなし」(過去作)

老若男女問わず愛されるカレーライス。
日曜日のお昼より少し早い時間からその匂いがするのが、一種の日常のような感覚でいた。
3歳の時からずっと動き続ける換気扇と、グルメ番組、炊飯のタイマー、この3つがだいたい組み合わさっていた。しかしながらお腹は鳴らない。可笑しい。

唐突だが、私はちっちゃい時不思議だったことがある。
給食のカレーがお米と分けられていたこと。
地域によって異なるが、私の地域では、半々に分けられたおかず、汁物、缶に入ったご飯、森永牛乳、時々デザートと分けられていた。
カレーの日専用の大きなお皿は無い。
汁物のお椀にカレー、缶のご飯に麦飯。
そしてだいたいおかずは、海藻のサラダ。と何か。
食べ方は人それぞれ。
缶のご飯を振って米をまとめた状態でお椀にぶち込むか、ご飯を一口ずつすくってカレーに付ける形で食べるかに分かれていた。

小学校低学年までは全然そんなことを気にせず汚れも気にせず辛いカレーを食べていたけれど、高学年になってからお盆や缶に付いた甘いカレーのこぼしたあとが不快になっていたからなのかもしれないが、
義務教育の9年間でのカレーの日に微塵もこんなことを不思議に思わなかったのは、きっと給食がカレーだと分かった日のみんなの笑顔が学校中に満ち溢れていたからなのかもしれない。特に4時間目の体育の後は歓声が響いていたことも。
今は甘すぎるくらい、具もちっちゃすぎるくらい、あのとろとろのたっぷりのカレーをもう一度食べたいなあと、思い出す。

なんで今こんなことを書いているかというと、今日のお昼はカレーライスだからだ。
口の中で思わず唾液が溢れ出すスパイスの香りが充満しているこの部屋で書いている。

私の家のカレーは具材が大きくて、トマトベースの少しサラサラしているカレー。
あくまで私の家の場合だから、他の家とは違うことはわかっている。美味しいことには変わりないが。
ただ、今まで友達の家に遊びに行って食べたカレーより圧倒的に自分の家のカレーが1番美味しいのは何故なのだろうか。味覚の慣れか?いや、きっと舌が感じている美味しさは圧倒的に違うのかもしれない。脳がむしろ錯覚しているのかもしれないし。

そろそろかな。

お米が炊けた。窓も開けた。
あえてテレビはラジオの代わりにして
たわいもないことを話す。
空もいつの間にか晴れ模様に近づいて
いい匂いが隣の家まで届くのだろうか。

甘口から中辛を食べられるようになった
ほんのちょっとで成長してしまった私と
そう過ごさせてくれた家族と一緒に。

今日もいただきます。

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