短編小説『そよ風』

 植物が芽吹き、暖かくなってきたと同時に人としての心が目覚めようとする頃に、いつしか描いていた願いが叶う日はいつなのだろうかと思う。
 テレビをつけると必ず悪いニュースが流れる社会に生まれてしまったからには生まれてしまっただけでとても重いものを背負っているような感覚が幼少のころから襲いかかって、それは続いている。

田畑が長い道のりを歩いて帰っていると、必ずこんなことを想うのだ。

 「ねえいとちゃん、ひろーい空ってどこまで続くのかな」
 私の隣には、ふうかちゃんという子がいつもそばにいたように、自分と常につながっているものがあった。
 夢の中でも会えるように、彼女の「風花」という字と、私の「衣堵」と書いて「いと」と読む字に糸を結ぶようにたんぽぽの綿毛を彼女に届くように吹き飛ばした。
 心の中の存在は、いつしかそよ風のように消えていくことは分かっていたけれど、岩のように重い心を助けてくれたのは間違いなくあの子のおかげである。
 けなされようが、傷をつけられようが、風花ちゃんが助けてくれたのかも思うくらいにいつの間にか心も周りも治っていて、そのたびに、自分だけの感じる手のぬくもりは宝物になっていった。
 「またきたよ、いとちゃん」と今でも来てくれるのではないかとも思う。

 地上から空までの距離は、人の手では測ることはできない。
 世間をまだ知らなかった頃の話だったから、そのために長い長い糸電話を作ったり、声なら届くはずじゃないかとメガホンを真上に持って彼女の名前を叫んだりした。
 血が上って息が上がって、意味がないことも分からないままで最後には母に「迷惑でしょ、いとちゃん」とバッサリ切られて終わる。私は懲りずに何度呼び続けたのだろう。本当はふうかちゃんの、「いとちゃん」が聞きたいのに。

 あれから大体10年が経って、離れた地にいる今は時々にしかあの頃の日々に浸ることはできない。
 実家の堅い床に寝転がりながら、どこにもいないはずの彼女との日々を純粋に残した子供のころの自分に微笑んでいた。変わらない田畑の緑は今日も健やかに、あの時と同じくらいのそよ風と歌い続けている。

「しゃぼんだま、まってー」
今は、私と風花ちゃんの代わりに地を大きく踏みしめる子供たちの姿が、減ってしまったけれどそこにはあって。跡形もなくいなくなった風花ちゃんへの寂しさは消えた。もちろん写真などなくて、クーピーでいびつに書いた彼女の姿だけがそこにあった。
 母校ではもうすぐ、「二分の一成人式」と題した自分の将来を発表する準備期間に入るらしい。

「ふたりのことはないしょね」と言われたから、あえて別な夢を描いた自分がいたけれど、でも今はもう許されると思うので、本当に成人を迎える年、改めて自分の将来の夢を言おうと思う。

私の夢は
「また、あなたに会いたい」

ランドセルを大きく背負う後ろ姿が、またまぶしく思えた。

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