流れ星の思い出
小学生の頃、恒例の家族旅行で行ったキャンプで、流れ星をたくさん見た。
高山の夜は涼しくて、突然雨が降ったりもするけれど、それがまた山の面白いところ。
こぼれ落ちそうなぐらいの満天の星空は、私のすぐ目の前で瞬いているようで、とても迫力があったことを思い出す。
私の隣には、私と同じようにキャンプ用の折りたたみイスに座っている妹がいて、私と同じように首を直角に真っ直ぐ空を見上げている。
たまに一言二言交わしながら、たまに笑う。
そして、ときたま頬にひんやりとした風が当たる感覚がある。
私と妹は、どちらがより多く流れ星を見つけることが出来るかをどちらからともなく競い始めた。
「あそこ!」と空を指さして、交互に叫ぶ。
満天の星空の中、流れ星を見つけることは、わりと難しかったりする。
よく目を凝らさないと、本当に「あっ」という間に消えてしまう。
音もなく流れていく流れ星が、私にはとても不思議だった。
静かに消えていくようすは、今本当にここで起こっていることなのか、確かに私はそれを目撃したのか、自分の感覚を疑ってしまうような感じを覚える。
そんなことを、私は仕事帰りの今、自転車に乗りながら思い出していたりする。
自転車を漕ぎながら道路の脇を走っていると、オレンジの街頭や車のライトがひっきりなしに目に飛び込んでくる。
ペダルを漕ぐスピードに合わせて、顔に当たる風の強さも変わってくる。
顔に当たる向かい風は、仕事終わりにさっぱりシャワーを浴びているような清々しい気持ちになってくる。
くねくねと何度か曲がり角を曲がり、だんだんと車の数が減って来る。
街頭のオレンジは変わらずいたるところに見えるけれど、だんだんと自分の自転車の音以外のものが聞こえてこなくなる。
人の気配が完全になくなると同時に、険しい上り坂の道になり、全身の筋肉を使ってのぼっていく。
目の前の坂に集中しないと上り切れないような険しい坂なので、空を見上げることはできない。
だから、私の頭上でたくさんの星が美しく輝いていたとしても、流れ星が流れたとしても、私は自分の荒い呼吸を聞くことしかできないだろう。
グッとハンドルに力をこめると、ツーッと背中に汗が流れるのを感じた。
やっとのことで坂をのぼりきると、同じような家と街路樹が並ぶ閑静な住宅街が続く道になる。
相変わらずシャーッという私の自転車の音しか聞こえない。
だけど、だからこそ、私は全身の細胞でこの夜の新鮮な空気を感じることができる。
いつも通っている住宅街が知らない街に思えてくる。
自分の息遣いと自転車の音しかない世界は、私が主人公のような無敵な感覚になってくる。
私のマンションはまだまだ見えてこない。
この道をまっすぐ進んだ先にある私の家は誰も私のことを待っていないから、まず帰ったら電気のスイッチをつけて、そしてあたたかいお茶を注いでひと息つこう。
夏だけれど、私はあえてあたたかいお茶を飲むことで、とても気持ちが落ちつくのだ。
そして、今日あったことをゆっくり頭の中で反芻するために目を閉じる。
きっと、幸せなことしか浮かんでこないから、私はゆっくりと微笑みを浮かべる。
そして、今日も幸せな夢を見ながら眠るんだ。
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