悲しい

自分が悲しみを感じたときに閉鎖的になってしまうのは直そうとしてきたけど結局直らない。

だから根暗だしこうやってノートとおしゃべりしてる。
頼りたくても頼れない環境だったから1人で処理できるようになった。
人と付き合っていてもいつその関係が終わるかわからないし、急に1人になった時、それまで誰かに悲しみの感情の処理を手伝ってもらっていたら悲しみを抱えきれなくなる。

どんなに順調にいっている恋人がいたとしても1番辛いのはその恋人と別れる時で、その時にもちろん恋人はいてくれないわけで。
そういう悲しすぎる時間に適合するためにちゃんと自分の感情は自分の中で処理できるようになったんだ。

1番触れられて痛いところだ、触られたくない、痛すぎる、多分色んな傷がまだ癒えていないんだとおもう。

恋愛って怖いな、依存してしまうし。
依存したくなくても、信頼しているということは離れたくないと願ってしまうことで、それは相手がいないと悲しくて仕方がないということで、それって依存しているということになるでしょ。

自分のことは自分でやれるようになりなさいって沢山言われたもの、だから誰にも甘えないで生きられるようになったもの、それでいいじゃない、いいよね。

ほんとに悲しいことは考えないようにしてたのかもしれない。
頼れる人がいないという、1番悲しいことは、そこから目を背けないと耐えきれなかったからそこから必死で目を逸らして、自分は感情に振り回されないぞって、私は強くなったんだぞって頑張って思い込んでた。

でも知ってる、自分が強がってることも、本当は家族にもっと受け入れて欲しかったということも、後悔と謝りたいことばかりだけど私を長い間守ってくれた恋人との日々が消えて不安で孤独だってことも、本当に私に興味を持って理解してくれる人は結局1人もこの世にいないんだっていうことも。

分かった上で無視してたんだ、悲しくなってしまうから。

死にたくなってしまうから。

それくらい深い深いところで悲しさをずっと抱えて、きっとこれからも生きていくんだ。


でもこんなことを書くと「私のことは信用してないの?」と思う人がでてくるというのもわかってる。
だから私はこのnoteに書いていることを人に表立って見てほしいと言わないんだ。
信用してても言えないことはあるし、というかやっぱり自分の抱えた嫌な感情を伝えるのは苦手だ、というか無理だ。
だって相手を不快なきもちにしたり、心配をかけたりするし、迷惑をかけてしまうと思うから。
人を不快にさせたくないし傷つけたくもないし、それがどんな感情よりも強くて、だからいつも臆病で、表面上は仲良くしていてもどこか距離を取りたいと思っている。

人知れず勝手に悲しんで、勝手に苦しんで、でも時間が経てば、ちゃんと感情を整理したら大丈夫になれるようになったんだから、もう誰にも依存して生きたくない。
人を好きになると弱くなるし、人を信頼すると弱くなる。
弱い自分は嫌いだ。
自分で自分のことが守れなくなる。
だから強くいたい。

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