わたしの生き甲斐

人を愛することが私の生き甲斐でね、

それでね、

誰かを笑わせることが、誰かのそばにいることが、励ますことが、抱きしめることが、生き甲斐でね、

それでね、

それをしていないと自分が生きていない心地がするの。

それでね、

大変な思いをしたって誰かのために何かをできることが生き甲斐でね、

ずっと今日までそうやって生きてきたの。

弱い者は守るべきだよ、じゃないの。
守りたいから守るんだよ。

それでね、

愛おしいから守るんだよ。

だからね、愛しいもののためなら身を呈していいと思っているんだよ。


おかしいかな?おかしくないよね。

私はいつもそうしたいからそうしてきた。
そこに理由なんか存在しない。

友達が困っている、だから駆けつける。
妹が泣いている、だからいじめるやつらを一網打尽にする。

私が愛して何かを与えるように見えてね、本当は私が生きる意味をもらっているんだ。


人に弱みを見せてもらえるのは嬉しいよ、守れるもん。

人に頼ってもらうことは嬉しいよ、力になれるもん。

やっぱりそこにはその人を助けたいか助けたくないかという気持ちしか存在していないし、多くの場合助けたい人ばかりだ。

人は強くなくていい。
弱くていい、そのままでちゃんとその人が生きられるように私がどうにかしたい。

人のためになら強くなれる、人を愛することで自分の生きる意味を見つける。

守れないことは悔しい事だ、だからテレビのニュースは嫌い。
どこかで起きている痛ましい事件に、もう過去になろうとしていることに何も出来ないから。
苦しんでいる人の気持ちが痛いほどわかって、苦しくなる、自分の人生でいっぱいいっぱいの自分が嫌になる。

早く立派な人になりたいよ。
ちゃんと愛した人を守りぬけるような逞しさを持った人に。

逞しさは男性だから持てるとか、女性だから持てないとか、そんなことはない。
私は逞しくあるんだ。
そうなることが私を生かしてくれるんだ。

だからね、強くなるよ。
世界にいるどんな人もちゃんと生きる権利があって、ちゃんと毎日笑って幸せに生きるべきなんだ。

だからね、強くなるよ。
負けないよ、何にも。
負けても私は強くなるよ。
負けながら挫けながら泣きながら、でも頭に愛する人を思い描いて強くなるよ。

現実としたいことの乖離に絶望する時もある、自分が情けなくて死んでしまいたくなる時がある。

ポッキリと心が折れて、電車のホームで足を低い宙へ踏み出しそうな時がある。
でも結局踏み出さない、踏み出せない。
踏み出してしまいたいと思うけど臆病でできない。

そんな臆病者だからこそ、臆病ではなかった人を守りたかったと思う。
きっとそんな勇気があったならその人は人生をもっと輝かせられたはずだ。

会社をクビにならなかったら、離婚しなかったら、病気にならなかったら、奨学金で借金を作らなかったら、その人は今生きて笑っていたかもしれない、私の傍で。
すぐ隣で一緒に美味しいご飯を食べながらにこにこしていたかもしれない。

だれにも命を散らしてほしくない。

願望ばかり語っていてはだめだね、今私ができることをちゃんとやる。


人を愛することが生き甲斐でね、そこに理由なんかなくてね。

この人と一緒にいたいと思う人を大切に大切にして包み込んで、大好きな気持ちを伝えてね、いつか自然とくるお別れの日まで笑わせたい。

それが私の生き甲斐なんだ。



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