鬱じゃなかった時の思考が思い出せない

鬱ではなかった時、わたしはどんなものの考え方をしていただろうか。
目を瞑ってこんなにも過去のことを思い出しては悔やんだり泣いたり頭をかかえたりしていただろうか。

自分が少しでも元気になると、躁状態なのではないかと思って怖くなったり、相手のことを気遣いすぎてものを言うことに抵抗感を強く感じたり。

そんなわたし、だっただろうか。

前向きだったはずだ。
でも前向きだったわたしを取り戻したいと思うほど辛くなるというのは分かっている。
だからありのままの自分を愛せるようになりたいんだ。
今のこんなわたしでも。

寝る前に指を組んで感謝の祈りをする。
寝る場所と食べ物をありがとうございます。
わたしを愛してくれる人をありがとうございます。
そう祈る。

明日が来て欲しいとは正直思わない。
この世からパッと消えて誰の記憶からも残らないで迷惑をかけないで居なくなれたらと思う気持ちは変わらない。
死に対する期待も恐怖もない。
死に対峙していないからなのかもしれないけれど。
ぬるま湯のようなこの生活をしながらも生きられるこの恵まれた環境に手を合わせて祈るんだ。

ただ祈るだけで、感謝を伝えるだけで、それ以上の望みを伝えたくはない。
叶わない時に誰かのせいにしたくないし、自分で叶えられる気もしないから。
でもできるなら、愛する人と愛する猫が生きている間に少しでも長く一緒に目を合わせられますように。
それくらいの望みは心に持ってしまっている。

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