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【本】安心できる楽しさの外へ

昔のように読書を楽しめなくなってきたな、と思う。

20代前半の頃は、息をするように小説を読み、水を飲むように小説を書いてきた。

20代の後半…終わり頃から、そのペースががくっと落ちたという自覚がある。なぜ自覚があるかというと、私は読んだ本も書いた量もバッチリ書き留めておく記録魔だから。

人が書いた物語に没頭し、はたまた自分でつくりあげた世界に没頭するのははっきりいって快感だった。

自分では経験し得ない他人の人生をなぞることができる、静かなようでとてもエネルギーのいる遊び。

読書量も執筆量も減ってしまったのは、やっぱり歳のせいなんだろうか…この先もどんどん文章に触れるのが下手になっていくのかと思うと少し恐い。

だから、小説とはいわずとも何かを書けるnoteの更新で、その〝何か〟の衰えに抗ってみようと思ったのも、毎日更新を続けている動機の一つだ。

書こうと思えば意外と書けるらしい。体力や時間の問題はあれど、こちらはトレーニングする術が見つかった気がしている。


ならばもう一方の「読む」方。

今は新しい物語を吸収するのに…吸収するために本を開くのがまず億劫だったり、勇気が必要だったりする。
面白く読めなかったらどうしよう、今読んでも楽しめない気がする。そんなことを考えて結局youtubeを開いてしまうこともしばしば。

以前はいくらでも新しいお話に出会いたかったのに、今はそれを消化するのに酷くエネルギーを使うようになった。だからか、以前はしなかった「読み返す」ということを、時々している。

数年前に読んだ、大好きだったお話をもう一度読み返すのは、分かっていることだけど面白い。あの時とは感じ方が違うな、という発見があるのも良いことだとは思う。

ただし、新しい小説を読むことに比べて、刺激は圧倒的に少ないはずなのだ。

面白いし安心できるけど、せっかく時間を費やしたのに新しく得るものが少ないのはちょっともったいない。

どうせなら読んだことのない物語に突っ込んでいきたいし、その中で心を揺り動かされたい。それが大変なことだと分かっていてもだ。


それで思いついたのは、楽しめるかどうかをいろんな情報から分析してしまう好きなジャンルから離れてみるのはどうだろう、ということ。

私がよく読むのはファンタジーや歴史物(のなかでも戦いのものが多い)だから、青春モノやミステリーを、何も考えずに手に取ってみる。

好きか、面白いか、楽しめるかなんて悩まなくていいし、新しい刺激を得られるのは間違いないだろうと思う。

9月も末、読書の秋が深まるこの頃。

次に本屋に行ったら、私はいつもと違う棚の間をうろうろする。


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