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見つけられないただ一語

!!!この記事には原作と映画版マイブロークンマリコの感想が含まれます






「本気で心配して怒ってくれるのが嬉しいだけ」

このセリフだけが妙に頭に刺さったまま抜けなかった。
原作を読んだのは確かツイッターで回ってきたときで、後に単行本化を知ってkindleで買った。
治安の悪い振る舞いなシィちゃん、大人しく控えめなマリコがメインの話だ。
それも、マリコが自殺したニュースを定食屋で目撃したところから始まる。
映画版では名前が読み上げられる辺りで周囲の音がスッと消えたのがとても良いし、コマの背景に手書きされていそうなセリフとでもいうのか、そういったやりとりが存在しており、ニュースをダシに盛り上がるおっさんどもがいたりなどする。
日常風景というやつだ。
それから「マリコが死んだ」のをゆっくり実感させていくシーン。
管理人が事故物件になる心配だけしていたのが他人事感を出していた。
そしてシィちゃんがマリコの遺骨を強奪してマリコの父に包丁を向け、ベランダから跳ぶ。
海へ行こう、とまりがおか岬を目指す。
もう怒られやしないとか箸を立てた牛丼の横でコップを鳴らすとか、「死んで焼かれた」ことを飲み込むのが恐ろしく早いなと思う。

マキオくんがちょっと陰の者めいた動きだったのも良い。
感情なさげな平坦な声かと思えば「名乗るほどの者じゃありません」でニヤ…としだす。
ちょいちょい手を貸してくるのは大丈夫じゃなくなりかけている奴への気遣いなんだろうな。

そしてやはり、回想や幻でしか喋らないマリコは死んでいる。
もう新しく何か言うことはできない。
だから、予感のまま置かれていたものを別のものに重ねるしかなかったのだろう。
マリコの父親が「お前に弔われたって白々しい」と喚くシィちゃんにマリコの姿を見たように。
シィちゃんが、目的を示すそのものずばり、「助けて」という言葉を叫びながら走ってくるあの女子高生に見たように。
映画版では、女子高生に「離れて座っているぼっち」の要素も付与されている。
後々引ったくりに追われてさえいなければ、「なんか虚無顔で座ってる女がいるな」のままで、それが本当に、人の世はそうだものなとなる。
定食屋にいたおっさんやマンションの管理人なんかが非情でなく普通なのだ。

果たしてあれでマリコが救われたかはわからない。
救われなかったから死んだと言えばそうだ。
けれど私自身どうしても、原作でも映画版でも「こういうことがあった」以上に入り込めない。
最後の手紙も、中身を考察するでなく「手紙が遺されていた」以上に立ち入るのはなんだかよくない気がしている。
よくない、という表現にもなんだか語弊を感じるけども。

カバー画は珍しく一回で聞き取れたエンディング冒頭の歌詞と重なった、少し遠い映画館まで行くためにかけた目覚まし。
あの曲2003年のなのね。




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