浅い地面燃やして溜むる民の目に幽霊船はうつらない

幽霊みたいな町でぷんすかしながら何も持たずに蜘蛛の糸を探しながら暮らしていくのはとても退屈だ。



『GHOST WORLD』を1回目観終えた帰りの山手線でずっと考えていた。最後のバスのイーニド。あれはハッピーエンドだったのだろうか。というか、ハッピーエンドってなんなのか。その話は後からするとして。イーニド、好きだな。スカーレット・ヨハンソンの若い頃というパワーコンテンツに惹かれて観に行った大半がイーニドの方にボッコボコにされているであろう。なんか反骨でいたくて髪グリーンに染めて、人から「まじの反抗は当たって砕けるのではなく組織に所属して内側から壊滅させていくもの」とか言われてすぐ黒髪にしちゃうとことか。部屋のレイアウトとかファッションとか。

表向きはやめときなよって皆言うけど、やな人とかきらいな体制に反抗できない社会ってなんかくるし〜って思う。気軽にブラックコメディできちゃう社会がよっぽどヘルシーな気がしてきた。友達ができたような気持ちだった、山手線の中で思い出して。

町が幽霊になる前に自分が幽霊になって思うままに飛び回れたらどんなにかしあわせだろうと思う。飛ばない幽霊より飛ぶやつのほうが絶対いい。できれば誰か道連れにして、猫とかも連れて。バックグラウンドが派手に拗らせていれば拗らせているほど高く飛べるらしい。「飛ぶ」とかより「翔ぶ」ほうの。

時代の流れにギリ追い付け追い越せな歳を生きている。年齢とか性別とか考えないで暮らしていたいって思っているけど。油断したら自動で横スクロールしてくるゲームみたいに形ないものが迫ってくるのだ。みんなそんなふうにして追われていたら、簡単な白黒な答えにしか行きつかないのだ。ちょうど、忙しいときの会話みたいに。質量がたりないまま人と接したときの暖簾に腕押しする感覚。他人からみたらハッピーエンドに見えるのかもしれないけど、そんな遊園地の風船みたく手を離したら何処かに消えていきそうなハッピーエンドなら、地をいくほうが好きだ。

この町が幽霊だって思えないうちに空の飛び方を忘れないでいたい。どんな翔び方でもいいから。人から見えなくても。白にも黒にもなれなくて、天にも地にすらつかなくても。宙に浮く幽霊船でもいいし。パイレーツ・オブ・カリビアンみたいな派手な船とかじゃなくても、マグロ漁船サイズのやつでもいいし。もう春。四月になったらあたたかくなって、土の中から虫たちがわらわら出てくるし、路地裏からはやばい人がふらふら出てくる。虫もやばい人も苦手だから、すり抜けて内緒の幽霊船で抜け出したり飛び回りたい。人からみてハッピーエンドじゃなくても、その先の生活をするのだ。

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