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免許法認定講習「総合的な探究の時間の指導法」が終了しました

昨日から2日間にわたり,総合的な探究の時間の指導法に関する講義を行った。神奈川県,新潟県からお集まりいただいた先生方に参加していただいた。とても楽しい,講義であった。この2日間で探究について実践を交えて学んだ。実際に河川に出向いて,そして皆さんといっしょに意見を交換しながら,探究というものはどういうものなのか,そして,探究は,各学校において応用が可能なのかどうかについて,皆さんで議論した。

 探究の実践的な手法を伝授しつつ,探究の概念を形成していただいたのではないか。教育に関する講義は,理念を基に教授している。そのため,現場教員は,理念を自分たちの現場に落とし込んで実践を行う。相当な幅の広い権利を与えられている。責任があり,やりがいもある。逆にいえば, 相当な負担を強いられていることも否めない。それだけ,現場教育は難しい。


 そこで,私としては,これまでの現場経験を基に,また大学で培ってきた方法論を全面に出しながら,理念についても深く理解してもらいたいと考え,具体と抽象を往還させながら,授業を構成した。作業目標として,何をやればいいのか,何が身につくのかを明確な目標として提示し,合わせて理論を学んでいただくように工夫した。


 参加された皆さんの発表をお聞きながら,大分深いところまで探究の理解が進んだんではないかなと,実感している。学生との違いは,豊富な経験をもっている。現実に照らし合わせて,探究学習の困難さを壁と感じたようだ。そこで私は,私自身の経験を交えながら,困難であると思うが,何が困難なのかを明確して,その課題を解決するにはどうしたら良いのかを,話し合いながら提案するように伝えた。すると,大変前向きな発言が多く見られた。

「探究の前に対話が大切だ。まず,生徒が好きなことを引き出すために対話をおこなうように支援をする。課題研究や探究の時間のためではなく,日頃からの対話を大切にしたい。生徒たちに探究の癖,慣れをつけさせる。そして,日頃の実習を探究の形にする。生徒が探究活動に慣れるように。」

生徒の可能性を育もうとする先生の優しさが伝わってくる。今回は,実習助手の先生で,実習教諭の免許状を取得するために集まった方々。現場の実情をよく理解している方々だ。その現場の困難を感じる中で,対話を実践したいという発言に,私は教育者の可能性を感じた。

 現場で実践している先生方に情報を提供することは,講義スキルを 高める上でも 非常に勉強になった2日間であった。こうした,講習会はこれからも機会があれば行っていきたいと感じている。
 

 最後に新渡戸稲造の講演録「教育の目的」を紹介した。この中に とても大切な。 教育の大切な意味が語られている。

「職業教育もよほど注意しなければならぬ。何故かというと職業を授けて行くに、その職業の趣味を覚えさせねばならぬし、そしてその職業以上の趣味を覚えさせぬようにもせねばならぬ。(中略)教育というものは程度を定め、これ以上進んではならぬといって、チャンと人の脳膸を押え附けることの出来ないものであるからだ。」

→職業教育はよほど注意しなくてはいけない。 生徒の脳髄を抑えて、これが大事なんだと,抑え込んで教えていくものではない。教育をもって,生徒を縛ってはいけない。子供たちの一人一人の可能性を引き出していくことを忘れてはいけない。

「道楽のために学問することは、一方から考えると非常に高尚な事である。然るに日本人には道楽に学問するという余裕が未だないといっても宜い。日本人は頭に余裕がない。(中略)前首相バルフォアの如きは二、三種の哲学書を著している。然るに日本の国務大臣方にはどういう御道楽があるか。」

→日本は,歴史的に「疑問を投げかけて,それを解き明かすプロセス」と定義されている「サイエンス(科学)」概念が未だに浸透していない。新渡戸の時代から,科学的成果の結論を教え込むスタイルは未だに変わっていない。

新渡戸のいう道楽の学問=サイエンスする喜び,探究の喜びのことだと解釈できる。探究的な授業を行っていこうと,文科省が旗を振っている。100年前に新渡戸の提言を受け止めて,探究的な学習をさらに前進させていきましょう。

課題解決が困難な大変な世の中であるからこそ,生徒の可能性を引き出す教育者の役割がますます重要になってきている。

このような機会を与えていただいた,神奈川県教育委員会の皆様に感謝申し上げる。

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