箱
そして、高校卒業です。
私は、生花店へ就職しました。
私が就職したのは、高校の3年間アルバイトをしていた、フラワーショップの店長さんの知人が経営するお店です。
人気のお店なのですよ。
店長は、知人である、そのお店のオーナーに「元気もあるし、まじめ」と、私を紹介してくました。
うれしかったです。
私の母も結婚する前は、生花店で働いていたのです。
母は家でも、たくさんの花を育てていました。
父と別れて、母の元気がなくなってしまってからは、私が花の世話をしていたのです。
小学生の私には難しくて、枯らせてしまった花もありましたが……
小春も就職を考えました。
ですが、やはり恐怖症が妨げになって断念したのです。
小春は、収入を得るのに、いろいろ模索しました。
今は、ショッピングサイトを運営して、収入を得ています。
小春がSNSにあげていた、古着に手を入れたものや、手作りアクセサリーの画像には、「同じものがほしい」とか「販売してほしい」と言ったコメントもよくついていました。
なので、販売してみることにしたのです。
最初は、SNSのダイレクトメッセージをつかって、こつこつ販売していました。
小春はそれでお金を貯めて、ノートパソコンを買ったのです。
そして、SNSで知りあったウェブデザイナーさんに発注して、おしゃれなショッピングサイトを作ってもらっていました。
コーディネートと、ショッピングサイトのリンクをのせたものがSNSで拡散されていきました。
私はよく、小春の作ったものを身につけるモデルをやったのです。
私は高校生のとき、急に身長が伸びました。
小春と私は10㎝くらい身長差がついたのです。
服を共有できなくなったのは、何だかさみしいですが、私がモデルをした画像にコメントがつくのはうれしかったです。
施設を出たあと、小春と私は二人で部屋を借りて、同居をしました。
家事は、小春にほとんどたよってしまっていたのです。
私がするのは、買い物とゴミだしとお風呂そうじくらいでした。
小春も忙しいのに、手際よく家事をこなしてくれたのです。
施設のときも小春は、部屋の掃除をしておいてくれていました。
「咲が勉強を教えてくれるから」と言って。
小春は、販売するものを作って、発送作業をこなして、家事もしてくれて、さらにその合間に服やアクセサリーを作る勉強もしていました。
今では、一から作ったオリジナルの服やアクセサリーも販売しています。
小春は勉強家なのです。
小中のときも、私より勉強していました。
通信制高校のレポートも真面目に取り組んで、余裕をもって終らせていました。
小春の発送作業は、私も少し手伝っています。
宅配便の集荷をしてくれるかたは、男性が多いです。
なので、いつも使う宅配業者には、無理を言って、女性の宅配員のかたを、お願いしていました。
ですが、女性のかたがお休みなどで都合のつかないときは、私が宅配便の営業所へ荷物をもっていきます。
就職した生花店で、車の免許を取らせて頂いたうえに、お店の車を私用にも使わせてもらえたので、こう言うときに助かりました。
こうして小春と私は、ふたりで生活を送っていました。
贅沢はできませんでしたが、経済的に困ることなくすごせました。
そして、施設を出てから4年が経ったころ、小春に彼氏ができました。
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