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【台湾紀行】その6 "Tour de Taiwan Island 2018" Day 5 from 高雄(Kaohsiungカオション) to 恒春(Heng-chhunハンチュン)

Gogo south!!

本日、このライドも4日目となる。
1日目、台湾島の北端の台北を出発して"ジャッキーチェンの台中"までの約173km。
2日目、台中から嘉儀まで、消化試合的に約89km。
3日目、嘉儀から、烏山頭水庫、国聖燈塔、台南は素通りして約164km。
以上の合計426kmを走って来た計算になる。
そして、4日目の今日は、台湾島最南端の街"屏東縣 恒春鎮"までいくつもりだ。
地図で確認すると、台湾島の多くが山岳地域で、平野は主に島の西側に広がっている。都市と呼べる街も西側に点在している。その平野を北から南にダダーっと突っ切って来た。この先は山と海の境目をクネクネと行く事になる様だ。
恒春を折り返してからは、島の東海岸線を北上して"環島"が完成する算段になっていた。

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台湾の鉄道網は日本と比べてシンプルで、島をグルっと一周(これも環島か?)しているので、もしも、環島中に"なんぞや"あっても、「電車に乗って生還出来る」と言う安心感はある。
それとプラス、台湾の新幹線、"台湾高速鉄道(高鉄)"は、台北と高雄の間を往復している。たしか、所要時間は1時間30分程だったと思う。

高雄は、大都会だった。

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朝、宿を出て南下する。
街の南外れに空港があり、その先はもう工場しか無くなって、大きな河に出る。台湾第2の河、高屏(カオピン)渓だ。
高屏渓を渡り屏東縣に入ると、ローカル感がグッと増した。
空と緑のコントラストが濃くなって、ヤシ?の樹が目立つようになって来た。いよいよトロピカルや、、
人々の顔つきも、心なしか南方系っぽい感じがしたが、気のせいだろうか、
店員とかのバイトの兄ちゃんはフィリピン系だった。

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さらに行って、枋山郷と言う地域まで来ると平地はほとんど無くなる。
中央山脈の南の先っぽがバシー海峡に落ちているのだ。
「枋山郷の地勢は、南北約30km、東西約100m!!?という南北に細長い云々、、。」となっていて、春日郷、獅子郷、牡丹郷、さらにその周辺の郷と合わせて"パイワン族"の居住地だったと聞くと、感慨深い。
"鎮"とは、日本で言う"村"とか"町"のイメージだ。

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「この辺りが、牡丹社事件の舞台か、、」って感じ。
1871年の宮古島島民遭難事件が、1874年の台湾出兵のきっかけになり、そして日清戦争があり、1895年から日本の台湾統治が始まる。
時は流れ、烏山頭水庫建設、1931年の嘉義農林の甲子園での活躍へと繋がって行く。まさに歴史の時間を遡るライドとなっていたのだった。


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食レポをひとつ、、

枋山郷の入口で、昼食を食べた。
通りに面した、ローカル臭超プンプンの店に入ると、麺の店だった。
台湾の麺は、汁無しの事が多い。
適当に注文したら、果たして出て来たのは汁無しの"担々麺??"だった。
いや、"担々麺"だったと思う。
お味は、とにもかくにも"胡麻!!"なのである。
ねっとり、まったり、強烈な胡麻フレーバーが攻めて来る。
"八角??""唐辛子??"
「パンチあるな」
口の中が「スーハー」するし、濃厚この上ない感じ、、。
ショックが大き過ぎて、これは、もう、「美味しい」のか、「不味い」のかさえも分からない。
「もしも、美味しかったらどうしよう、、」
「記憶に残る味とはこの事やな、、」
でも、自分では、もうどうしようもないから「誰かにジャッジしてもらいたい!!」と切に願うのだった。胡麻好きの方にぜひ!!
他の料理の味は、胡麻が強烈過ぎて忘れた。きっと美味しかったと思う。
かろうじて完食は果たした。ポリシーやしな、、

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しかし、それにしても超ローカルなこの店、日本人って来た事が有るんかな、この辺りに住んで無かったら、観光では100%来ないと思うで、しかし。
知らんけど、しかし。

やって来ました恒春鎮

台湾島の最南部の突き出た部分は"恒春半島"と言うのだけど、高鉄はもとより、高速公路(国道)は通ってはいない。南廻線(鉄道)も途中で山岳に分け入って太平洋側に抜けて行ってしまう。一般省道(国道)の環島公路もしかりだ。超ローカルな飛行場はあるけどね、、
要するに、恒春鎮は、辺境の地なのであった。
なるほど、清国政府に"化外の地"と言わしめるにふさわしい、、。
想像を膨らませながらバイクを走らせる。
そうこうする内に恒春の街(町)に着いた。
町の入口に、"恒春古城、歓迎光臨"とあるから、古城をネタにした観光の町であるらしい。この辺りの古城は、漢人が入植時に原住民からの防衛の為に築いたものだ。
しかし、今は町を素通りする。「台湾島最南端を攻略せよ」ここでも裏ミッションのノルマがあるのだ。
台湾島最南端は、恒春の町からさらに15km程先の"鵝鑾鼻半島"の先っぽにある。「往復30kmか、、」海沿いの道を風に吹かれながらヨタヨタとさらに南下をする。
"辺境"にも関わらず、道路がやたらと立派だ。
さもありなん、恒春から南の恒春半島は"墾丁国家公園"なのだから、台湾を代表する観光スポットだ。
墾丁は、日本語読みでは、コンテイだけど、現地で聞くと"ガンディエン"に聞こえた。
道端に海水浴場があって、日本だと沖縄の"恩納"みたいなイメージだろうか、道路に溢れた赤銅色の若者がビーサンで"若さ爆発"していたな。
そして、水泳場の隣に台電第三核能発電廠があって、遠くからでも建物が丸見えだから、なかなかシュールな雰囲気を醸し出していた。日本みたいな隔離感は無い。台湾って建物で冷房に電気を日本よりバンバン使うしな、、。

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道を外れて、いよいよ"台湾島最南端"への小道を下る。小道は鬱蒼とした植物のトンネルになっているのだが、観光客が割と多かった。そのトンネル、、に蚊が多いのには閉口した。歩行者もバチバチ叩いている。それに付き合って歩行者に遠慮してタラタラ走っていると無数に刺される。たまらんから、「すんません」と言いながらササーっと下る。日本なら嫌な顔をされそうな局面だけと、こっちは大らかなのか、むしろ好意的だ。まあ、中国系の観光客が多いと思うけどね。日本人も居たよ。

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台湾最南端、鵝鑾鼻(がらんび/オールアンビー)からの景色は絶景だった。
「これがバシー海峡かー!!」感無量。
この海の向こうはフィリピンなのだ。(と言っても350kmあるけど)
紺碧の海と、白い雲は、ここが"熱帯"である事を教えてくれるのだ。

恆春の南門

恒春の町に帰って来た。鵝鑾鼻に行って来たから、約30kmの遠回りをして来た事になる。ライド4日目の走行距離は、約136kmだった。
これまでの台湾島縦走のトータルは、562kmと言う結果になった。
この先、折り返して北上するから環島のトータルは1000km以上になると予想された。
町に入ると本当に古城の"南門"があり、今夜のゲストハウスも"South Gate"だから、南門だ。縁起がいい。

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宿のホストとは、textでやり取りしていたが、実際に管理していたのは、Ms. Kaoと言う年配のご婦人で、英語を話した。まあ、こっちは日本語だけどね、。
建物は、ひんやりとした学校の様な造りで、香港映画に出て来そうな中国スタイルの部屋をあてがってくれた。部屋の鍵はてきとうな感じだけど、どうせ掛けないから気にしない。
シャワーと洗濯を済ませ、夜の町に繰り出す。
夜の町は結構な人出だった。特にバス停前の広場が明るい。
鉄道が無いからバス停前が駅前広場の代わりなのだと合点がいった。

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ウロウロすると"祖車"だとか"出祖"と言う表示が目に付く。
どうやら"レンタルスクーター"と言う事の様だ。
なるほど、ここは辺境だから、公共交通機関派は、高雄辺りから恒春までバスで来て、バイクを借りて墾丁や鵝鑾鼻を目指すのがスタンダードなのだろう。
鵝鑾鼻まで往復の間、スクーターに二人乗りする若者がやたら多かったのはこういう理由だったのだ。
まさか、高雄から二人乗りして来た訳ではあるまいとは思っていたが、。
それにしても「違法なんじゃね、、」って感じ。
まあ、大らかな土地柄なんでしょうな。
日本人にはハードルが高い観光地かも知れんな、、知らんけど。

つづく

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