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あの日から一年。

2022年2月24日

ウクライナの首都キーウにある自宅のマンションで、日本からの大量の通知と外のサイレンで飛び起きた。ロシアのウクライナ侵攻から約5時間が経過していた。

前夜まで戦争など有り得ないと威張り、現地に残り続けた知人たちと、それに感化されて帰宅した自分のことを悔やんだ。後悔しきれなかった。

鮮明に覚えている記憶。

起床後、部屋のセントラルヒーティングで身を温めながら眺めた灰色の空には、煙が見えた。

情報を求め、凍てつくキーウの街へ飛び出した昼前。自宅はObolon地区の西側にあり、近くのATMとスーパーマーケットは人で溢れていたため、20-30分ほど離れた大型モールへ走った。外の気温は低かったが、さまざまな感情が入り混じり、体は相当熱かった。

冷静だったのか、ネットで「有事の際に買うべき物リスト」を検索し、水・栄養ゼリー・炭水化物のポテトチップスやらを購入した。外にいる間、衝撃波で殺られる可能性を考慮して身体の守り方も学んだ。ここまで理解していれば、帰り道にロシア兵と鉢合わせない限り、生き残れると思った。

他の地区では、銃撃戦で人が死んだという情報をTelegramで得ていた。モールからの帰り道、道路を走行していたウ軍の戦車はとても大きく見えた。これが戦争か。

大使館の方から電話があり、「できるだけ正確な情報を得て、自分で判断し、生き延びてください」と言われた。生き延びる、生きる、ことがこんなにも尊いことかと妙な気持ちになった。

街で見た凄惨な光景は、あまり覚えていない。脳の機能のおかげで体の震えはおさまり、足を動かした。これが本当の戦争だと理解した。

カオスな状況の中、同郷の人々は本当に頼もしかった。元軍人の方、子供がいる方、事業を営んでいた方、さまざまな日本人と連絡を取り合い、情報をいただいた。

シェルターの場所、脱出の手段・タイミングなど、メッセージを見返すと当時の切迫感で鳥肌がたつ。

当時、周囲の仲間たちと話したことは、今振り返ると随分気味が悪かった。

「首都陥落で外国人の自分達はどんな仕打ちを受けるのか」「拷問はどれくらい辛いのか」「これまでの人生でやっておいて良かったことは何か」「死ぬのは怖いか」

首都陥落の可能性が高いと噂が流れてきた。もう助からないと悟ったのか、皆が各々の言語で「いま」起きている現実を世界に発信し、伝えようと奮い立った。日本語、中国語、ヒンディー語、英語、様々だった。身内もいない異国で、誰にも知られずに死ぬのが怖くて、最後の悪あがきをした。

のちにそれが母国で非難される題材になることも知らずに。

たくさんの後悔があります。まずは一時退避していたポーランドからウクライナに戻ったこと。私には、自分の行動で、どこに、どういった影響が出るのか、ということを考える責任感が足りませんでした。ご迷惑をおかけした皆様、本当に申し訳ありませんでした。

たくさんの後悔があります。現地で助ける予定だった家族を、作戦途中で戦闘機に阻まれ、危険だという理由で助けられませんでした。私には、何とかしてやろうという気概と勇気が足りませんでした。

たくさんの後悔があります。現地の友人と電話するはずが、シェルター内部の電波が悪く、すこし入り口まで上がれば出来たものを断りました。メッセージでのやり取りのあと、連絡が取れなくなりました。私は、世話になった友人に感謝を伝える最後の機会を失いました。

あの日から一年。

ウクライナの友人でメッセージを返せていないチャットルームがたくさんあります。返信するのが怖くて、目を逸らし、現実を見れていません。返事が返ってこないときの、どうしようもない悲しみに耐えられる自信がないからです。

心の奥底には、これからも癒え切れない傷が残り続けるのでしょうか。こういう時、どうしたら良いのか、時々困惑します。似た体験をされた方からの、「定期的に精神科医に見てもらった方がしばらくは良い」という助言は、的を得ていたなと今ならわかります。

これからは時々、強がらずに頼ろうと思いました。

どれだけバカだなと言われても、どれだけ死ねと言われても、どれだけ非国民と言われても、その方々の私に対する怒りはどうしようも出来なく、言われる辛さもどうしようも出来ません。

私も人間なので、傷つきます。

しかし、傷つくことにも謝罪をするのです。私のしてしまった罪は、日本ではそれくらい重いものと承知しています。

あの日から一年、謝罪をし続けた一年でした。

そろそろ逝ってしまった友人たちには、謝罪でなく、感謝を伝える頃合いかもしれません。ウクライナで失われた罪のない死が、真に報われる世の中になりますように。

刺激的で、苦楽を共有し、ささやかな幸せを教えてくれたウクライナの日々、ウクライナありがとう。死後の世界があるのなら、みんなで自己紹介からしたいです。

日本から来ました。ウクライナの可能性に惚れて、ここから夢を追いかける日々が楽しみです。家は此処のそばに借りてます。いつでも遊びに来てね
日本人というだけで驚かれた記憶

そろそろ現実に向き合い、人生を前に進めないといけません。できることに熱量を込めます。来年の今頃、もし私が日本に居たら自分を叱ります。一文なしの今、許容しうる範囲に仕切りはありません。

ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。先の件ではご迷惑をお掛けし、大変申し訳ありませんでした。これからさまざまな形で、非難される人間ではなく、応援される人間になりたいと思います。

頑張ります。

最後に、一刻でも早く、ロシアの侵略戦争が終わりますように。そして、罪なき人々を殺戮した罰を、プーチンとクレムリンの人殺したちへ。

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