エッセイコンテストに参加してみた

北九州を発信する「キタキュースタイル」というページで、北九州にまつわるエッセイコンテストがあったので参加してみました。

僕のは「「何度か移住し」「出張族で」「起業」した私が選ぶ北九州(P-010)」というタイトルで、入賞できました。ほとんど企画者の実費だと聞いております。大変恐縮です。賞金で前から欲しかったPS3のメタルギアソリッド5を買わせてもらいます。

まだ他の人のエッセイを見ていないのですが、そもそも私自身「エッセイ」というものがどういう性格のものなのかよくわかっていなくて文章を作成していました。「とりあえず思うこと」を書こうと。普段は病院の放射線科で出回る医療雑誌に記事を投稿しているので、画像も少なくデータばかりで「エモさ」というのは皆無だったと思います。ただ私くらいの世代になると、意思決定にはエモさよりもデータがやっぱり大事になってくるので、実際の活動実績や移動費などを掲載してみました。

医療系の雑誌でも、私が何かを書くときは特定の誰かを想定して文章を作成しています。今回のエッセイでは東京に住む友人に向けて作成しました。特にこのコロナの中、何人もの知り合いが「東京から移住したい」と私に相談してくれました。同世代や年上の医師からも「どうだろう」と質問を受けました。小倉に関しては仕事している以上ある程度のアクセス性は外せないことと、やはりコスト面は素晴らしいことを伝え、皆かなり前向きに検討しているようです。5年後は近所が知り合いだらけになるかもしれないです。

初めての移住は広島の三原市でした。これは大学がそこだったからです。親から離れたくて仕方なくて、かつセンター試験に失敗した私が入学可能な唯一の公立大学でした。高校時代は自分自身を所謂「コミュ障」と思っていましたが、ピザ屋の配達や居酒屋、バーテンダー、ローソンの深夜など多数のバイトをこなすことで、様々な社会人と知り合いになり、随分コミュ力は鍛えられたと思います。とはいえ諸事情あって同じ大学の学科の人達とは卒業ギリギリくらいまであまり喋っていませんでした。最後には結構喋れるようにはなっていました。

三原も大きなお祭りのある街で、海が近く、ローソンの深夜バイト明けに友人と釣りに行って、豆アジを釣っては一般社会人である友人の恋人に料理してもらって、僕は授業に出て昼飯に食わせてもらうっていう、なんかすごい生活していました。その頃から毎日居酒屋で一人で飲んで、飲み友だちができて、今と変わらない生活していたと思います。当時はそこまでお酒飲める人間でもなかったです。

大学を卒業して引っ越した東京の新小岩では、度重なる出張生活の中、駅から家に帰る途中にあって深夜までやっているバーで毎日酒を飲んで返っていました。ここからは今も同じなのですが、自分から誰にも声をかけずにマスターと喋っていました。そうこうするうちに顔見知りもだんだんできて、みんなで毎週飲み会するようになりました。そして震災で一気に仲良くなりました。いまでも東京へ出張したら新小岩で宿泊しています。

ちなみに海外でもサンフランシスコであればユニオンスクエア周辺でいつも宿泊しており、毎日同じスーパーで買い物していたので店員と仲良くなって飯食いに行ったりしました。台湾もほぼ同じホテルに宿泊するので、日本人向けのキャバクラで遊んで帰ってきています。国内の出張でも札幌や仙台、金沢、愛媛などなど、よく行く場所は毎回同じホテルに泊まっているので、居酒屋の方は覚えてくださっていたりします。ありがたい話です。新大阪では、とあるイタリアンに常連以上に通っていたので常連限定の婚活パーティに参加させてもらうこともできました。

そうやって、移住だけでなく出張を繰り返すことで、ほとんど住んでいるかのような扱いを受けることがあります。色んな所に拠点を持つと、いろんな情報を仕入れることができるようになります。小倉にいても、たまに出張で小倉に来た人と話すと「どこから来たんですか?」「ああ、そこ知っていますよ」「そのお店には何度か行ったことがあります」なんて簡単に話のきっかけを掴むことができます。今となっては本当に良い強みだと思います。

移住先が小倉である必要は必ずしもないとは思いますが、住む街に縛られる必要もないとは思います。愛とか関係なしに。私は重なる海外出張をこなすたびに「日本って良いな」と思い知らされます。そこが良い街なら、外に出るほうがコントラストがつきます。東京でキャリア積んで帰ってきて、今度は台湾やアメリカに引っ越してもいいと思います。

やりたいこと、やったもんがち、青春なら。その経由に一度は小倉で住むのもいかがですか。と。


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