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癌という言葉が急に身近になった ②

 検査の前日の夜10時から下剤を飲み始める。1リットルの水に粉状の下剤を溶かして、1時間以内に飲まなくてはいけないのだが、思ってたよりも楽だった。甘くスポーツドリンクのような味で、日中、炎天下で働いていたため、まだ喉が渇いていて、40分程度で飲み干した。しばらくベッドに横になり、スマートフォンでYouTubeを見ていたが、程なくして眠りについた。
 何回もトイレに行き、寝たのか寝ていないのかわからない状態だったが、それは普段と変わりない。一年ぐらい前から、殆ど熟睡できなくなっている。歳のせいなのだろうか?もしそうだとしたら、やはり歳はとりたくない。  

 検査当日の朝、6時から2回目の下剤を飲んだ。1回目よりは、少ししんどかったが、それでも1時間程度で飲み干した。これで、検査が終わるまで水も飲むことができなくなる。食事は昨日の9時の夕飯が最後だ。野菜がだめとか、色々制限があるので、カップラーメンだけにした。中にネギが入っていたので、それを取り除くのに時間がかかり、30分ぐらいかけてゆっくり食べた。

 昼前ぐらいにアパートを出た。最寄りのバス停までは、アパートから徒歩で20分ぐらいのところにある。炎天下の中、汗だくになりながら、永吉新村バス停に向かった。
 バス停に着くと、程なくして9069公路客運バスが向かってきたのが見えたので、手を上げ、バスを止め、バスに乗り込んだ。

 台湾のバスは手を上げないと止まってくれないのである。確か仙台も同じようなシステムで、静岡の大学に通ってた時に、仙台の時の癖で、手を上げてバスを止めようとしたら、一緒にいた友達に笑われたことがあった、そんな事を思い出した。予備校時代に住んでいた仙台。憧れの街仙台。そしてずっと住みたいと思っていたが、結局住めなかった仙台… もし、癌だったら、もう行くこともできないのだろうか、、、
 心当たりがないこともない。5、6年間、ジャカルタに住んでいた頃、原因不明の体調不良に襲われたことがあり、一時帰国の時に隈なく身体中を調べたことがあった。大腸内視鏡検査も行なったが、大腸は全く異常がなかった。だから、その後の事である。先ずは、辛いものが急に全く食べられなくなった。元々辛い食べ物が嫌いではなかったが、3年前あたりから、ちょっとでも食べると、次の日必ず腹を壊すようになった。また、2年ぐらいから、便秘が多く、便の形も変わった気がする。最近では腹のムカムカ感が続いている。多分、何かしら悪いのだろう。いずれにせよ向き合うしかない、、、 

 色々な思いを巡らしているうちに、バスは台安病院に着いた。

 前回と同じように日本語で受付を済ました後、時間までソファに座って、台湾プロ野球の中継を眺めていた。台湾には日本と同じ楽天というチームがあり、ユニフォームも同じだ。その楽天と富邦というチームの対戦だが、守備とかを見てもなんともお粗末で、ワンポーロンが日本ハムで活躍出来ないのも納得出来た。

 受付に名前を呼ばれて、いよいよ手術室に移動。後ろが開いているズボンに履き替え、全身麻酔の誓約書にサインをさせられ、右手に注射をされた後、手術室に入りベッド横たわった。左側を下にした体勢になり、麻酔用マスクをかぶり深呼吸をした。注射をした右手が痛くなってきたので、言おうと思った瞬間、落ちた。

 約2時間のタイムワープ後、別室で目が覚めた。先生と通訳がいて、直ぐに説明が始まった。「ポリープを切除しましたが、ごく小さな物なので問題無いと思います。1週間後に病理の結果がきますので、来週また来てください。血潜値が高かったのは痔のせいだと思います。」
 ホッとしたというよりは、拍子抜けたという感じで、「だから最初から痔だって言ってたじゃん。」と心の中で呟いた。


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